潜在意識をくすぐりながら、才能開花と心と脳の次元上昇のお手伝いをしています。
「Office.One.Five.Many」「象徴セラピー協会」代表彩木智都世さん
2020.04.10
「Office.One.Five.Many」と「象徴セラピー協会」を運営する彩木智都世さんは、ロゴやキャラクターデザイン、イラストなどを手がけるグラフィックデザイナー。自身の体験から、人の想いが引き寄せた現実があること、自分の責任と覚悟で人生を思い通りに描き直せる波動(=真の引き寄せ)があることを多くの人に知ってほしいと、7年前からシンボルセラピーカウンセリングやカードリーディング、ヒーリングなども行なっています。国内外の著名なメンターやコーチに直接学び、独学の知識や唯一無二の経験からの気づきも統合させて、独自のメソッドを確立されました。現在は、絵本作家としても活躍。オラクルカード付のセルフセラピー本も出版されていて、それらの作品をもとに絵本セラピーやエネルギーワークにも力を入れています。そんな彩木さんに、体験談や今後の活動についてうかがいました。
シンボルセラピーとは
セラピーもいろいろありますが、シンボルセラピーというのは初めて聞きました。どういうものですか。
簡単に言うと、自分の想いが現実を創り出していることに気づいてもらうものです。さまざまな想いのシンボルがリアルに具現化されて、鏡のようなヒトモノコトが目の前に登場していること、オラクルカードにもそのまま表れるので、それをわかりやすく紐解いていきます。引いたカードを見て、何にフォーカスして何を感じるのかが今の心の状態ということになり、さらには、自分の本心を多角的に観察することができるようになるので、眠らせた意識を起こしたり、直感や感受性を鍛えることや創造性を高めることにもつながります。
この自分をこの世でちゃんと生かし抜けるように真実の自分や神聖な自分を引き出しやすくなるお手伝いもしています。
カードは彩木さんのオリジナルですか。
はい。全部で36枚ありますが、前半は陰陽の組み合わせが8組で16枚、後半は三段活用の結カードが20枚あります。枚数やナンバーにも数秘が隠されていたり、内容も「宇宙の法則」をベースに、さまざまな心理学、禅や道教、潜在意識ともつながる奥深いものとなっています。
引いたカードに投影された本心は、直感とシンクロしていて、何度もカードを引くことで、今の自分だからこその答えや、ピンとくるフレーズも目に入りやすくなっていきます。一見よくないカードに思えるものも、その裏側に見落としがちな大切な何かが隠れていて、すべてが表裏一体だと気づけるものでもあります。複雑にした心をシンプルにして好いシンボルに変容させ、真心のシンクロにしやすくなるという流れを持った象徴的なカードです。現実に起こっていることは誰かや何かのせいにはできなくて、本当の自分の想いに責任と覚悟をもって人生を描けることに、ちゃんと気づいてもらえるものだと思います。
絵や文章、デザインも、もちろん彩木さんですよね。本業はグラフィックデザイナーだそうですが、主にどんなものをデザインされているのですか。
企業のロゴやHP、会社案内や広告、フライヤーなど、キャラクターデザインやイラストも手がけています。特に開運ロゴや開運名刺のようなスピリチュアル的にもパワーアップするデザインを得意としています。
不思議な体験のはじまりは胎内記憶から
彩木さんがスピリチュアルなことに惹かれるのは、なにか原因があるのですか。
じつは、産まれたときの記憶があります。産まれる前に医者から男の子だと言われていて、女の子だけど大丈夫かな? と思いながら生まれてきました(笑)。両親も親戚も男の子だという前提で、名前も洋服も準備してくれていて、母もそう信じていたので、みんなびっくりしていました。母は男の子を生む気満々だったため、皆さんの態度に、敏感に繊細に反応して号泣していました。その光景や母の複雑な感情が、生まれてすぐの私の中にストレートに入ってきました。その瞬間、両親それぞれの本心を理解でき、「女の子でも良かったと思ってもらおう、この人たちを幸せにしたい」と強く思った記憶があります。
お母さんの胎内記憶がある子供がいるという話は、よく耳にしますが、実際にあるんですね。本やドキュメンタリー映画にもなっています。
産婦人科医の池川明先生も胎内記憶のことや過去生の記憶のお話をされています。過去生を持っていない人間はいなくて、一般的には、生まれるときに記憶を消して生まれてきていることになっているんだと。何度も転生することも、魂の成長や進化のためだと言われています。私も後に、過去生を思いだせる不思議な体験を何度もしました。
数年前にも、ご縁のあった屋久島の神社に初めて行った時、宮司さんに「あなたが来るのをずっと待っていた」と言われてびっくりしたのですが、巫女さんから過去生の話を聞いて、今までのことが腑に落ちて、気持ちが軽くなりました。
途中で記憶がなくなったということはないのですか。
わざわざ言うことも、その必要もなかったので、話すことも思い出すことも少なかったような気がします。産湯に入れてもらっていたときも母の心の声をたくさん聞いていて、後にその記憶から両親の過去に関する質問をしたことがありましたが、一度も話したことがないのに、なぜ知っているのかと驚かれたこともあります。
言語ではないもので理解しているのですね。幼少期はどんな子供でしたか。
表向きは普通でしたが、中身はちょっと変わっていたのかもしれません。人の感情が色や形でみえていて、他人と自分の感情の境目みたいなものもよくわからなくて困ることもありました。周りとの折り合いをつけるためにも人の言動をよく観察して学習していきました。おかげで、今よりずっと大人で、よくできた子でした(笑)。
優等生からデザイナーへ
幼いうちは覚えていても、そのうち周りと合わせていくことを覚えて自然と忘れてしまうか、あるいは変な子だと思われないように自分だけで処理してしまうということもありましたか。
父も母も優しかったのですが、しつけもルールも厳しくて、順応性の高い真面目な子に育ちました(笑)。毎年、学級委員長をするようなスポーツも勉強もできる優等生キャラでした。周りの期待に応えたいと高校も進学校に行きましたが、このままこの土地に長くいない予感があり、あえて家族との時間を大切にしていたり、友人との距離の取り方や感情の扱い方も、独特だったような気がします。進学校を選択しながらも塾には行かなかったり、無意識にも意識的にも未来につながる行動が多々ありました。
なぜ、そう思ったのですか。
個性的な従姉妹の影響で、密かにファッションデザインの仕事がしたいと思う時期が到来して、それなら塾に行く必要はないし、周りのみんなと同じじゃなくてもいいんじゃないかと思うことが増えていました。それでも当時は、教師か医療関係の仕事につきたいと周囲に合わせていて、両親が喜ぶ選択や発言をしていました。
ふとしたタイミングで、母には「絵を描くことを仕事にできたら」ともらしたことがあり、覚えてくれていた母が、東京の芸大出身アーティストの絵画教室が隣町にできたことを教えてくれました。それを聞いた時、はじめて父に「行ってみたい」と主張してみました。
お父様は何と?
学校の勉強や部活はどうするのかと言われました。「見学だけでも行ってみたい」と言うと、それならということで、なんとか許してもらえました。体験教室に行ってみて、先生も授業も面白くて、短時間でも満足していたら「君は特待生にしてあげるから、交通費だけでいいよ」と言われたんです。そこまで言ってくれているのだったらと、父も通うことを許してくれました。
ご自宅からは近かったのですか。
電車で1時間程の距離です。部活後6時くらいに電車に乗り、2時間の授業が終わるとだいたい9時くらい。それからまた電車で帰宅して、深夜まで勉強するという生活でした。先生も、そこで出会えた先輩たちも「東京に行くべき」と言ってくれて、推薦状まで書いてくれてたんですけど、父は猛反対でした。家から通えるところで探せと言われて、結局、名古屋の芸術系短大に行きました。それでもあきらめきれず、短大卒業後も、説得するために専攻科進学を選択しました。
お父様は反対されなかったのですか。
専攻科進学は、学費を自分で稼ぐという条件で許してもらいました。短大に入学したタイミングで、元サントリーの宣伝部で大活躍していた方が講師として赴任してきて、その先生と出会えたことで東京とのご縁が強くなり、そのことも後押しになっていました。
どんなことがあったのですか。
先生から「君はいわゆる優等生だから、いつも平均点以上の作品は創れるけど、100個つくってその中にひとつ、誰にも負けないすごい作品ができるタイプだ。とにかくたくさん描くことだね」と言われました。その言葉を信じて、毎日、授業と仕事の合間に大量のアイデアスケッチを描いたことによって、自然に直感も創造性も鍛えられていきました。その先生から作品を褒められることはほとんどなかったのですが、初めて褒めてくれた作品があり、それをブラッシュアップして、東京の公募展に出品しました。
なんという公募展ですか。
「日本イラストレーション展」です。搬入郵送日に睡眠不足と過労で倒れてしまい、もうダメだと思っていたら、父が「がんばっていたのを知っているから、東京まで搬入しに行ってやる」と言ってくれて、締め切り当日に母とふたりで車で運んでくれたんです。かなり大きな作品で、一人では運べないものでもありましたから、めちゃめちゃ嬉しかったです。二人の気持ちに感動して大泣きしました。しかも、その絵が賞を獲ったんです。
努力の成果ですね。ご両親もさぞお喜びになったのではないですか。
はい。賞金もいただきましたし、ようやく両親も東京行きを許してくれました。授賞式のために東京へ行ったのですが、偶然にも名古屋出身の有力な方と出会えて、名古屋にあるファッションビルのギャラリーで個展をしないかと申し出があり、個展を開くことになったんです。そのことも両親を納得させてくれて、東京に出る夢も叶い、本当の自分も全開になりました。
東京に出てきたあとは、どんな仕事をされたのですか。
デザインやイラストの仕事がメインでした。今もそうですが、営業するというよりも、人からのご縁でお仕事をいただくことが多かったです。
営業しないのに仕事がくるというのは不思議ですね。
人間関係の学びも濃い時期で、多種多様な人との関わりが増え、必然の流れでした。一時期、食事もとれないくらい忙しくて、体重が38キロまで減ったこともあったんですよ。
それはかなり危険な状態でしたね。
左半身が動かなくなって歩けなくなりました。毎週のように股関節が脱臼して、病院でレントゲンを撮ってもらうと背骨が雑巾絞り状態になっていて、先生も驚いていました。施術をしてもらっても一時的に良くなるだけで、すぐに立てなくなる。だから、毎日傘を持って歩いていました。杖をつくのが恥ずかしくて(笑)。役所の方から生活保護を受けませんかとまで言われたほどでした。
よく治りましたね。
東洋医学にも見識のある歯科医の先生を紹介していただき、噛み合わせの治療をしたら、翌日には歩けるようになりました。子供の頃から奇形の歯があって、左右の5番目は歯根のない歯でした。それがバランスを崩していたらしく、先生は、人間関係に問題があると左側に酷い症状が出やすいとおっしゃっていました。この出会いとお導きから、心と体にまつわる知識が増えて後に深い理解につながっていきました。
体験から学んだ引き寄せの法則
セラピストとして仕事をするようになったのは、いつごろですか。
7年前からです。東京に出てきてからは常に心と体に過激なことが起こり、試練ばかりでした。病名がつかないものも多く、長い間、自分で心身を治す実験と研究をしてきました。不思議なことに過去生で医学に関わることが多かったらしく、因果はそこにもあったようです。
世界的に有名な「引き寄せの法則」=「ザ・シークレット」の本やDVDに影響を受け、すべての病を完治させていた頃、その先を描いた「メタ・シークレット」の著者メルギル博士が来日していると知り、会いに行きました。日本での公認マスタートレーナーの方のネット番組も偶然みつけて、質問コーナーに投稿したらすごい確率で選ばれて、この人にも会いにいこう!と思い、翌週、会いにいきました。ちょうど「メタ・シークレット」の7つの法則カード本の依頼があったタイミングらしく、誰に絵を描いてもらおうかと思っていたところだと言われました。翌日、正式にカードデザインの依頼がきました。すごいスピードで夢が叶っていました。
そんな偶然があるのですね。まさに引き寄せの法則ではないですか。
そうなんです。思えばそういうことがよくあって、良いことも悪いことも自分で引き寄せていることを確信していました。体を壊したり、自分の周りから人がいなくなったときのことなどもいろいろ書き出して、そのときの心情と現実を照合していくこともやってみたんです。潜在意識の書き換えにつながる作業もしてみました。おもしろいくらいに思考と現実が符合していて、幸も不幸もどちらも叶うことがリアルに実感できました。過去生までもが影響していたり、心の傷や歪みが癒されないままだと心も体も悲鳴をあげて爆発することなど、全貌がみえてきてはじめて、次元を超えた視野を得ることになりました。これまでの人生を振り返るうちに、すべてのスピリチュアルな体験も受け容れて肯定できるものになりました。独特な感受性もさらに進化して、直感も降りやすく、シンクロニシティの質も上がりました。
潜在意識というのは、だれでもわかるものなんですか。
日々ルーティンで思考していることや無意識にやってしまうこと、それによって起こる出来事を紐解くと、潜在意識と深く関わっていて、この世にあたりまえに働いている宇宙の法則や自然の摂理と「シンクロしている」ことがよくわかってきます。私の著書「心の辞書みたいな本 神人縁」にもエネルギーワークのこととして描いていますが、潜在意識のこととしても読みすすめられるものになっています。
シンボルセラピーを考案されたのも、その体験からですか。
すべての体験と知識がつながった、必然のメソッドとなりました。以前、右卵巣に900グラムの腫瘍ができたことがあるのですが、それも自分の想いが創り出したものでした。左半身が動かなくなったときとは逆の右側で、仕事と関係がありました。体の部位もすべてがシンボルで、感情と密接に関わっていること、それを証明する出来事が次々と起こりました。シンボルセラピーの中にある多角的な視点は、体の部位も想いに象られていて、病も自分の想いで創られること、さまざまな心理学からの学びと実体験もすべて結びついたことで、あたりまえに培われたものです。象徴的に視えてくることが本当にたくさんありました。右は与える、卵巣は生み出すという意味をもつシンボルで、それが報われないと感じて腫瘍を創り出し、その想いを過剰にして歪めたことで卵巣捻転までさせていました。体を通して痛みを感じ抜いたからこそ、心も脳もフル稼働させて細やかに紐解けた気がします。
セッションの内容やカードの意味などはすべてご自分で編み出されたのですか。
はい。20代はほぼ体を壊していたため、心を調えて自力で治してきたことも修行になりました(笑)。その後、さまざまな分野のメンターやコーチ、霊媒師やヒーラーとの出会いから学んだこと、デザインの仕事からも学べたことで、すべてを融合させてメソッド化できました。現代は情報に溢れていて、複雑に絡みあったものが多く、本当の自分というものを見失っている人がたくさんいます。たとえば自由ということもそう。制限があるから不自由だと思っている人は多いですが、制限にもいろいろあって、無意識に「自由という制限」を創っている人も意外とたくさんいます。
自由という制限とは、どういうことですか。
「多くの人が求める自由」を自分の自由として、外側に承認欲求をしていることも真の自由ではないです。自由という漢字をみると自と由、つまり自分の理由があれば、それが真の自由です。自分だけの理由があること、それが自由なのだからこれが私の自由だと思えればそれでいいんです。もっというと、ありのままの自分は、それだけで自由です。つまり、唯一無二の存在だということだけで自由なんです。人の命はそもそも愛そのものであり、生まれた時から自由だということ、それを一番識っていてほしいです。
そう考えると、自由の選択肢も広がるような気がします。デザイナーとしてはもちろん、セラピストとしても今後どのような活動を臨まれますか。
昨年は絵本を4冊出版させていただいて、ここ数年、執筆活動にエネルギーを注いで、心身ともに内にこもる状態が続いていました。これからはもっと直接人とかかわることを増やそうと思っています。たとえば、心のワークショップのようなこと。大人も子供も老若男女問わず、みんなで一緒に心を解放していけるような、何か新しい面白いものが提供できたらいいですね。すでにエネルギーワークのおもしろグッズもたくさん創ってありますし、それを持って全国をまわれたら、いろんな出会いや新たな展開につながりそうです。私にしかできないことで、世の中に貢献できることを増やしていけたらと思います。
いま、この有事にあたり、また内にこもる状態になっていますが、今こそ心と体の調和や平和の波動を自ら創りだして、その波動で引き寄せられるものがあることを信じ、新たな時代に向けて、ゆっくりと丁寧に備えていきたいと思います。
(取材・文/神谷真理子)
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