人の数だけ物語がある。
HOME > Chinoma > インタビューブログ【人の数だけ物語がある。】 > 最後までその人らしく輝いて生活できること、それが介護の本質です。

ADVERTISING

私たちについて
紺碧の将
Interview Blog Vol.100

最後までその人らしく輝いて生活できること、それが介護の本質です。

介護付有料老人ホーム新 施設長横木淳平さん

2020.05.25

横木さん

 

2015年5月に開設された「介護付有料老人ホーム新(あらた)」は、従来の介護とは一線を画した革新的かつ魅力的なサービスに取り組んでいる老人施設です。その施設長である横木さんは「最後までその人らしく輝いて生活できるような本質的な介護」が新の大きな特徴だと言います。横木さんのこれまでの歩みを聞くと、その言葉の根っこには確かなロジックがあり、想いや理想のみで語られたまやかしではないことがわかります。その世界の“当たり前”に陥らず、常に本質を掘り下げ、考え、行動する。介護のプロとしてのあり方を語っていただきました。

祖父に勧められた介護への道

介護の道に進もうと意識をしたのはいつ頃からだったんですか。

 特に将来の夢もなく、明確な目標もないまま地元の工業高校へ進学しました。でも実習で工場見学に行ってもこういう仕事は合っていないと思うばかりで……。迷っているところに祖父が介護の道はどうかとアドバイスしてくれたんです。高齢化社会になり、今後は介護やリハビリの仕事が増えるだろうと。それで介護の専門学校に入学しました。ところが実習で介護のイメージが最悪になり、一時期は学校にも行かなくなりました。

どんな実習だったんですか。

 今の時代ではほぼないことですが、そこではガラス張りの部屋にツナギを着たお年寄りが寝ているんです。なぜツナギを着ているか分かりますか? オムツを自分で外さないようにです。肩に鍵が付いているんですよ。介護されている人がまるで人間扱いされていない。介護をしてる側も機械的で、どちらも人間じゃないと感じてしまうような異様さがありました。こんな仕事はできないと思ったんです。

そこで一度介護の道は諦めたんですね。

 一時はどういう道に進むか迷いましたが答えは見つかりませんでした。卒業のため、学校に行かなかった分はたくさんのボランティアで補修する必要がありました。幸運にもそのボランティア先でスカウトしていただき、そのまま介護業界に就職することになったんです。だから最初は情熱があったわけでもなく、なんの志もないですよ。流されるまま、介護の道に進むことになりました。

その後、就職をしてから介護に対するイメージが変わったんですね。

 その就職先はいい介護ならどんどんやれという職場で、実際にたくさんのチャレンジをさせてくれました。もしも実習で経験したような職場だったら、やはり介護の仕事は諦めていたかもしれません。

 でもそういう職場でさえ、新しい試みの許可が出るには時間がかかるんです。企画を立ててから実行するまでに1ヶ月と仮定します。この1ヶ月の間に歩けていたお年寄りが立てなくなってしまったり、最悪の場合は亡くなってしまう可能性がないとは言い切れません。そう思ったときに、自分で判断できる立場の人間にならないとやろうとしている介護はできないんだと強く感じるようになりました。

介護とは人対人のコミュニケーション

上の立場に立ってでもやりたい介護があると思うまでになった。チャレンジをさせてくれる環境が横木さんの介護に対する考え方を変えてくれたんですね。

 ここで働けたことが私の礎になっていると言っても過言ではありません。それが「新」で施設長として働けるきっかけにもなりましたから。

 当時は先輩に飲みに連れ行ってもらうたびに「やりたい介護ができるくらい偉くなりたいんです」と言っていました。先輩たちも応援してくれて、25歳で現場のリーダーになったんです。本人があれだけ言っているんだからやらせてみようと思ってくれたんじゃないですかね(笑)。

目指していた立場に実際に立ってみて、思うように仕事はできましたか。

 驚くほどうまくいきませんでした。リーダーと認めてもらえないんです。みんなを支えながら導かなければいけないイメージを持ちすぎてしまい、人がついてくるのが当たり前という考えでした。なんで認めてくれないんだと思いながら、言うことを聞いてくれない人ばかりを見て仕事をするようになるんです。そんなとき、担当していたおじいさんから「リーダーは孤独なんだよ」と言われたことで考え方が180度変わりました。当時の私にとってはすごく大きな意味を持つ一言でした。

どのような変化があったのでしょうか。

 次の日から孤独を受け入れて仕事をするようになりました。ネガティブ思考と思われるかもしれませんが実は逆で、ついてきてくれない人を気にするのではなく、頑張っている人の仕事に目を向けるようになりました。人がついてこないのは自分の能力が足りてないからだと割り切るようになり、孤独でもいいから純粋にスキルを磨こうと思いました。思考がポジティブに変化して、それからは心に余裕ができました。

横木さんチャレンジさせてくれる環境の中でリーダーになり、いよいよ思うような介護ができる環境が整ってきたわけですが、この当時に目指してた介護とは具体的にはどのようなものなのでしょうか。

 例えば、夜間徘徊を問題行動と捉えると部屋に鍵をかけたり睡眠薬を飲ませたり、行動を制限する対応が一般的です。でも夜間に動き回る原因を考えてみると、昼は見張りの目が多いため外に出ようとすると部屋に戻されてしまうんです。だから人が少ない夜をお年寄りはチャンスと思い行動する。それを介護にどう落とし込むかはすごくシンプルで、逆に職員が多い昼間は安全なのだからどんどん歩き回って活動的になってもらう。そうすると夜はぐっすり寝てもらえます。昼間に動けなくて夜は寝付けないから何か行動をしたいと思うことって、健康な人でも同じですよね。問題行動に見えて、実は人として当然の欲求の上での行動なんです。

 認知症からくる問題行動と捉えるか、お年寄りからのシグナルと捉えるか、どっちと捉えるかで介護の対応は真逆になります。大切なのは問題行動と決めつけて蓋をしないことです。人の数だけ介護のやり方があり、その人らしくあり続けられるためにはどうしたらいいか考えること、それこそが今も昔も変わらない私の目指すべき介護なんです。

介護にこれだという決まった対応はないということですね。

 介護って本来はする側とされる側の信頼関係やコミュニケーションの上に成り立つものなんです。この人はこう思っている、それに対して自分はこういう引き出しを持っていて、あなたにこうしてあげられますと伝える。次にその人のために自分の体を動かすことが介護です。介護が必要なお年寄り全員を一つの塊と捉えずに、100人いたら100通りのコミュニケーションの取り方があると考える。それを無理やり専門性を持たせた介護という枠の中に当てはめて、こういうケースはこうしなさいと決めつける。人はそれぞれ考え方も欲求の内容も違うのに、それでコミュニケーションが成り立つはずがないんです。

 辛いと言われる介護職ですが、ルーティーンでただのお世話を繰り返しているだけならそれはそうでしょう。人生をある意味で諦めかけたお年寄りに、もう一度その人らしく輝くきっかけを与えて、最後にその人の夢を叶えるような仕事は介護しかないと思うんです。そう考えれば魅力的だと思うんですよね。

圧倒的な個別ケア、最後までその人らしく。

最悪の印象だった介護という仕事がやがてそのような境地に至るのですから、どれほど真摯に目の前の仕事に打ち込んできたのかがよく分かります。

 今まで100人以上のお年寄りを看取っているんですよ。もっとできることがあったとか、なんでこうしてあげられなかったんだとか、看取った数だけ反省するんです。その人たちから教わってきたことが参考書やそこらの介護論に負けるわけがないという自信もあります。経験の蓄積を咀嚼して自分のものにするまでがお年寄りの人生を背負うことの義務だと思っていますから。  

横木さんそして2015年に新が開設、施設長に就任。これはどういったきっかけがあったのでしょうか。

 オムツを外したり旅行に連れて行く介護が注目されて、そういう介護を教えてほしいということで法人の理事の方とお会いしたんです。それで一緒に合同勉強会をしたり、介護の話をしているうちに意気投合をして、こういう施設があったらいい介護ができるよね、じゃあやってみるかって(笑)。

横木さんにとってはより理想に近い自分の介護をする場を得られるチャンスですね。

 前の職場もやりたいことはある程度できていて、やめたいとは思ったことはありませんでしたけど、建物の段階から自分のやりたい介護を考えられるのはありがたかったです。

新の特徴を教えて下さい。

 圧倒的な個別ケア、最後までその人らしく輝いて生活できる介護ですね。極端な話、そのお年寄りが人生を謳歌したいと望むなら食事は好きなものを食べればいいし、孫の結婚式までは生きていたいなどの目標・希望があるならきちんと健康管理をする。人の数だけ価値観があるわけですから、何が幸福かも人によって違うんですよね。

 それと新にはカフェやDIYを楽しむ工房、生涯学習教室や畑などのさまざまな施設があります。これらはすべてお年寄りが施設内で社会的な活動をするためのものです。お年寄りに居場所と役割を与えられる、まるで小さな町のような老人ホーム、それが新です。

横木さん施設としてそういう介護をしていくためには、横木さんだけではなくスタッフも掘り下げた介護をしていく必要がありますね。枠にとらわれないやり方に最初は戸惑うスタッフの方もいるのではないでしょうか。

 そのためにもスタッフがルールに縛られないためのルールを作る。型にはめないように重りを削いでいくイメージです。自由で気楽に思えますが、人によってはその自由が難しいと感じることもあるようです。

 でも介護を受ける側もする側も、そのほうが人間らしく生きられると思うんです。マニュアルで型を作ると、考える場面が極端に減ります。その日の行動が決まっていたら、何も考える必要はありません。本質を掘り下げないとできない仕事の繰り返しで良い人材は生まれるんだと思います。私がこの場合はこうしなさいと指示をしても、そのスタッフ自身の考えがなければ“やらされている”ことになるわけです。それではスタッフとお年寄りの間にいいコミュニケーションは生まれないし、やりがいを感じる仕事にはなりません。

介護のスタンダードになることを目指して

介護の仕事はただただ大変なように思いがちですが、そういう介護ができると大変さの中にもやりがいや楽しさを見出すことができますね。

 専門学校で臨時講師をやっていますが、必ず生徒たちに言うことがあります。学校生活の中で自分がやりたい介護像をひとつは必ず持ち、それができる所を就職先に選ぶようにと。職場の雰囲気とか、先輩がいい人とか、基本給や休みの多さで選びがちだと思うんですが、介護の道を行くつもりならやりたいことを最優先した方がいいですね。自分自身がそのように歩んできましたから。

横木さん今後のビジョンをお聞かせください。

 介護のスタンダードを変えていきたいです。介護の仕事=お世話をすること。それってやろうと思えば誰でもできることなんです。お金をもらって介護をする人が同レベルのことをしていたら、それは世間的な地位も低くて当然だし、魅力がない求人に人が集まるわけがありません。ではプロの介護とはなんぞやということなんですね。

 私たちはお年寄りを元気にして、その人らしい生活を取り戻すためのきっかけをたくさん作り、最後にその人の夢を叶えることが介護のプロですと胸を張って言えるように「介護3.0」というソフトを発信しています。介護を美談にして根拠のない想いだけでやっていると思われがちなのを、ちゃんと仕組みとして成り立っている介護だと証明するためのものでもあります。

確かにそういう介護は新にしかできない、横木さんにしかできないと思われてしまえば、どんなに革新的な介護のやり方も新の中だけで埋もれてしまいますね。

 やろうとしていることはベンチャーに近いです。新の介護は皆さんから「すごいね」「いいね」と言っていただけます。これが「すごいね」から「ほしいね」に変われば達成感になると思いました。とはいえ新の施設をまるごと提供するわけにはいきませんし、同じような施設を建てるのもコストがかかりすぎます。ならば新から介護の仕組み(ソフト)だけを取り出して「介護3.0」と名付けて売り出そうということになりました。そういうベンチャー的なマインドが今のビジョンですね。

 近い将来、介護といったら新の「介護3.0」と言ってもらうためにわかりやすく発信していきたいと思っています。

(取材・文/村松隆太)

Information

【介護付有料老人ホーム新】

〒329-0414 栃木県下野市小金井2290-1

TEL:0285-39-7230

FAX:0285-39-7231

HP:http://www.arata-nirokukai.jp/

介護3.0ブログ:https://sidetree0303.hatenablog.com/

 

横木さん

【記事一覧に戻る】

ADVERTISING

メンターとしての中国古典(電子書籍)

Recommend Contents

このページのトップへ