なすべきことはすべて わたしの細胞が記憶していた
詩人、谷川俊太郎氏の『芝生』の一節である。友人だった茨木のり子さんの著書『詩のこころを読む』によると、これは谷川氏が40代に書いたものらしいが、本人はどうしてこんな詩を書いたのか、と後になって驚いたという。誰かに書かされてしまったように、すらすらできあがってしまったそうな。
その「芝生」である。
――そして私はいつか
どこかから来て
不意にこの芝生の上に立っていた
なすべきことはすべて
私の細胞が記憶していた
だから私は人間の形をし
幸せについて語りさえしたのだ
われわれはどこから来て、どこへゆくのか。
生まれ落ちた瞬間、ほとんどの人はかつての記憶を消去してくるというが、それでもふとした瞬間、遠い記憶が呼び覚まされるような、奇妙な感覚に囚われることがある。
見たこともない風景や行ったこともない場所、初対面の人に懐かしさを覚えたり、聞こえてくる音に感動して鳥肌が立ったりと、デジャブと呼ばれるそれらの現象は前世からの記憶とも言われる。
もしそれが本当ならば、ふたたびこの世に戻ってきた理由はなんなのだろう。
谷川氏は「なすべきことはすべて細胞が記憶して」いるという。
細胞が記憶しているものとは、
たとえば喜び。
たとえば怒り。
嬉しさや悲しみ。
先天的、後天的にかかわらず、無意識に反応する心身の動きは、何かのメッセージなのだろう。
それらの感情はうまくいけばコントロールも可能だが、それでもムズムズと湧いてくる気持ちに嘘はつけない。
そのムズムズの正体を突き止めなければ、また何かに反応してムズムズは必ずやってくる。
ムズムズの原因はなんだろう。
心身はどうしたいのか。
人間の形をして生まれてきた理由が、そのムズムズに隠されているとしたら。
アレルギーの原因を突き止めれば、幸せについて語ることもできるのかもしれない。
今回は「雲の峰」を紹介。 夏といえば海、山、そして雲。夏の風景には、必ずと言っていいほど入道雲が登場します。この入道雲が「雲の峰」。続きは……。
(210809 第738回)