わからないものをそばに置いておくのは大事
雑誌『Tarzan』『BRUTUS』などの編集に携わった編集者、岡本仁氏の言葉を紹介。現在はランドスケーププロダクツに所属し、「かたちのないもの担当」としてコンセプトメイクやブランディングなどを手がけているという岡本さん。「かたちのないもの担当」とは面白い。古巣『BRUTUS』に登場し、「あの人の学び方」で語っていた言葉だ。
岡本氏いわく、
「最近はみんな、その場でわからないものは必要のないものとして処分したがる。わかんないまま一生を終えて、ゴミとして残ってゴメンねというものもたくさんあるけれど、役立つかどうかわからないものをそばに置いておくのは大事」
断捨離、ミニマリスト、終活……。
モノに溢れた日常を整理する、昨今の〝片付け〟ブーム。
そこに「ちょっと待った」と異を唱える人は、やっぱりいる。
なんでもかんでも捨てればいいというものでもない。
他人には無駄に思えても、自分にとっては大切なものは必ずあるのだ。
そんなことやってどうすんの?
ということほど、後になって力を発揮することが多いというのは、もう多くの人が体験ずみではないだろうか。
たとえば、リベラルアーツ。
自分自身を解放してくれる〝リベラルアーツ〟という創造的な学びは、すぐに役立つかどうかと言えば、ほぼ「No」だろう。
代表的なのは芸術全般だろうか。
それでも人は芸術を求める。
芸術が直接的に日常を変えることはないというのに。
「芸術は人生の必要無駄」と言ったのは、彫刻家の佐藤忠良。
「この直接役に立たないものが、心のビタミンのようなもので、しらずしらずのうちに、私たちの心のなかで蓄積されて、感ずる心を育てるのです」
と、一見、無駄に思える芸術の必要性を説いている。
わからないから、今必要ではないから、だから切り捨てるというのは、自分の可能性にも見切りをつけているような気がする。
それがもつ意味や価値は、今の常識だけで測れるものではない。
「何かになるかもしれないし、ならないかもしれない。でも、それをずっと置いておくのは、あ、これってそういうことだったのかとずいぶん経ってから気づくことがあるからなんです」
岡本氏のように、あるものは物理的に、あるものは頭の片隅に、役に立たないものも取り置いていれば、熟成されて未来の「今」を味わい尽くせるのではないだろうか。
今回は「雲の峰」を紹介。 夏といえば海、山、そして雲。夏の風景には、必ずと言っていいほど入道雲が登場します。この入道雲が「雲の峰」。続きは……。
(210812 第739回)