「できるだけ、早い対応、多い情報の獲得、大量生産」という傾向が人間の魂を傷つける
臨床心理学者の河合隼雄さんの言葉だ。1996年に刊行された、村上春樹さんとの対談集『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』にあった。対談の中でのある会話に対し、後から言添えるように書き足された文中の一部である。
本書のあとがきで、河合隼雄さんはこう述べていた。
「各人はそれぞれの責任において、自分の物語を創り出していかねばならない」と。
「物語」という視点に立つと、この世界は無数の物語でできていることに気づく。
一人ひとりの顔が違うように、人の数だけ物語があり、人以外の生き物や「モノ」などにも当然、物語はある。
本来であれば独自性のあるカラフルな物語が、ある時点から画一的な、色のないモノクロの物語に変わっていったように思うのは、気のせいだろうか。
現代病のひとつ、「うつ病」がそれを表しているように思う。
色のない世界で生きるのは、あまりに辛く苦しいだろう。
ひとつの鬱が別の鬱を生み、さらに精神を病んで結果的に自死を選んでしまうという悲劇が後を絶たない。
大量生産、大量消費が自然破壊を招いたとはよく言われることだが、自然破壊の中には人間の魂の破壊も含まれていることを、もっと早くに気付くべきだったのだ。
昨今の「スピード」や「情報過多」は、すべて「大量生産」が招いた現象だろう。
無駄を省いた実利性のある生産と効率を追求した結果、「心の病」をも大量生産してしまった。
そこに一石を投じるとしたら、ふたたび時間のかかる「物語」に価値を見出すことではないだろうか。
物語を紡ぐプロの村上さんは、
「小説の本当の意味とメリットは、むしろその対応性の遅さと、情報量の少なさと、手工業的しんどさにあると思う」と言い、
臨床心理学者の河合隼雄さんは、
それこそ「心理療法のメリットそのものと思う」と返している。
しかし、現代の一般的風潮は、まったく逆の「「できるだけ、早い対応、多い情報の獲得、大量生産」に向かい、その傾向が人間の魂を傷つけているのだ」と。
深く傷ついた魂を癒すためには時間がかかる。
その長い時間をともに過ごしてくれるのは、おそらく長い時間をかけて紡がれてきた物語ではないだろうか。
時には時間を忘れて、ゆっくりと物語の中に身を置いてみてはどうだろう。
溢れる情報から離れて、小説や音楽、映画、動植物などの自然や歴史、文化など、とっぷりと長い物語に浸ってみよう。
そこから新しい自分の物語も紡がれるはず。
今回は「行合いの空」を紹介。季節の移り変わりをいち早く教えてくれるのは空でしょうか。とりわけ雲は季節を先取る名手。澄みわたる空の彼方と此方の雲が行き合う姿、夏の終わりと秋の始まりを表した空模様が「行合の空(ゆきあいのそら)」です。続きは……。
(210828 第744回)