生きるとは味わうことである
放浪の詩人、種田山頭火の人生の基本原則はこれだったらしい。裕福な家庭に育った山頭火の心の内には、幼少期に体験した母親の自殺がずっと暗い影を落としていたという。俗世で味わった空虚感も放浪の旅で満たされたのかもしれない。それがこの言葉から伝わってくる。
子供の頃や学生の頃は、欲しいものがあれば小遣いを貯めて買ったものだ。
そうやってようやく手に入れたものは感慨もひとしおで、大切にしたし、後々まで宝物にもなる。
長じてお金を稼ぐようになると、ある程度のものなら簡単に手に入るし、当時欲しかったものを「大人買い」することもできる。
ところがどうしたことか、簡単に、しかも大量に手に入れても、あの頃の感動と喜びをふたたび味わうことはない。
ささやかなお金を必死で貯めて、やっと手にするささやかなもの。
その喜びは、お金では買えない。
子供が生まれる前は「なんとか無事に」と願い、無事に生まれれば「元気な子であれば」と願い、すくすく元気に育てば「こんな大人になってほしい」と願う。
学生の頃の、話をするだけでドキドキした恋も、大人になって経験を重ねれば重ねるほど、恋のときめきは薄れてゆく。
高校、大学、就職とキャリアを積んで、以前よりも知識も経験も豊富になったはずなのに、いつの間にか心の豊さはすり減ってしまう。
なるほど人は何かを得れば、何かを失うようにできているらしい。
何かを求め、努力することは決して悪いことではない。
さらなる高みを目指すことも、もちろんいいことだ。
本当に大切なことを忘れなければ。
どんな高級なフルコースも、空腹の時の一杯のご飯にはかなわない。
満腹なところに、血の滴るような分厚いステーキは重すぎる。
じっくり味わいたいなら、お腹を空かせなければ。
満腹中枢が麻痺していると、味わうどころか、もっともっとと欲しくなるだけ。
少しのものをじっくり味わう。
何気ない時間も、大切な誰かや何かと一緒なら贅沢な時間。
いつか何かを失うのなら、今手にしているささやかなものを、大切に、じっくり味わってみよう。
どんな人生も味わい方ひとつで、深くも浅くもなるのだから。
今回は「色なき風」を紹介。
―― 吹き来れば身にもしみける秋風を 色なきものと思ひけるかな(紀友則『古今六帖』)続きは……。
(211014 第755回)