魂は自分の社会を選ぶ
アメリカ北東部、ニュー・イングランド生まれの詩人、エミリー・ディキンソンの詩の一節である。生前はわずか10篇を世に出しただけで、ほとんど知られることのなかった無名の詩人は、没後発見された1700篇以上もの作品が高く評価され、アメリカを代表する高名な詩人のひとりとなった。富も名声も欲しくないと詩に歌ったエミリーがそのことを知ったら、なんて言うだろう。
クローゼットには溢れるほどの服があるのに、着たい服がない。
街を歩けばそこかしこに飲食店があるのに、食べたいものがない。
本屋を覗いても、自己主張と呼び込みの声がうるさい本ばかりで、心も体も落ち着かない。
ありすぎて欲しいものがわからない。
求めているものがわからない。
本当はわかっているのに。
魂は知っているのに。
エミリーが言うように、「魂は自分の社会を選ぶ」のだから。
でも、雑踏に放り込まれたら、魂も迷う。
エミリーは、生涯のほとんどを生家で過ごした。
後半生は家からもほとんど出なかったという。
それが後世の栄誉につながったとは言わないが、少なくとも、魂を露頭に迷わせずに済んだのは確かだろう。
世間から離れ、自己追求に生涯を捧げたエミリーと同じことはできなくとも、時には雑踏から離れ、魂の求める声に耳を傾けることはできる。
そうすれば、世間の評価や承認欲求にも悩まされずにすむ。
「真珠など欲しくありません」と、エミリーのように言い切ることもできるだろう。
「わたしには広い海があります……
黄金も欲しくありません
わたしは鉱山を持つ王子なのです
額にはいつも王冠のあるわたしに
どうしてダイヤが要るでしょう」
ささやかだけれど、魂の声はこだましている。
恥ずかしがり屋だから、なかなか姿は見せてくれない。
目を閉じて、耳を塞いで、じっと静かに待てば、そのうち姿を現すはずだ。
今回は「色なき風」を紹介。
―― 吹き来れば身にもしみける秋風を 色なきものと思ひけるかな(紀友則『古今六帖』)続きは……。
(211024 第757回)