学びとは、自分の成長に気づき続けること
ベストセラーとなった『日日是好日』の著者、森下典子さんの言葉を紹介。しあわせは日々の中にこそあるのだと教えてくれる「お茶」の話は、ただただ心の安息をもたらしてくれる。読むたびに、ほっとひと息つけるような、一服の茶をいただいたような…。本を開くとそこはもうお茶室で、森下さんと一緒に座って自然の移ろいを眺めているような気分になるのだ。
何気なく過ぎてゆく日常が、ある日とつぜん、きらきらと輝き始めることがある。
それまで気にも止めなかったことが、ふとした瞬間気になって、あとはもう、ただただ気になるばかりで、もっと知りたくなったり、もっと触れたくなったり、とにかく夢中になって追いかけてしまう。
子供の頃は、誰もがそんな瞬間をたびたび経験したのではないだろうか。
若く瑞々しい感性は、どんなささやかな煌めきの瞬間をも見逃さない。
たとえそれが、うらぶれた路地裏にひっそりと身を潜めるようなものだったとしても。
大人は決して気づかない、気づこうともしない小さな抜け穴を、若者たちはいとも簡単に見つけ出し、柔らかな身をくねらせながら、するりと穴の中へ入ってゆくのだ。
その抜け穴は暗くて狭い小さな穴がゆえに、もがき苦しむことになるのだが、その苦しみはやがて智慧に変わり、この世界の成り立ちを見晴るかせるようになってゆく。
そして、世界は矛盾を孕みながら動き続けていることを知るのだ。
この動的パラドックスの世界を生きぬく術は、それを受け入れ、自らも変容し続けていくしかないのだと気づく。
それが「成長」というものだろう。
気づきは、成長の証しなのだ。
森下さんは、お茶の世界で多くの「気づき」を得たという。
「この世には、学校で習ったのとはまったく別の『勉強』がある。…それは、教えられた答えを出すことでも、優劣を競争することでもなく、自分で一つ一つ気づきながら、答えをつかみとることだ」
若々しさや瑞々しさは若者だけの特権ではない。
学び、成長しようとする人は若々しく、きらきらと輝いている。
なるほど、自分を育て成長させてくれる「学び」は、子供たちが遊ぶ天国への抜け穴にちがいない。
今回は「木枯らし」を紹介。
秋の終わりと冬の始まりを知らせる冷たい北風が、「木枯らし」です。続きは……。
(211210 第766回)