なぜ私は作曲するか? 私が心の中に持っているものが外へ出なければならないのだ
年の瀬が近づくにつれてベートーヴェンの顔がチラつくのは、年末恒例の『第九』のせいにちがいない。見たこともないはずのベートヴェンが、しかめっ面で髪を振り乱しながらタクトを振る姿が脳裏に浮かぶ。聴力を失ってなお、耳にこだまする音を楽曲にして聴衆へ届けようとしたベートヴェン。この言葉はそんな彼の魂の声だと思う。
知人に問われて、ベートーヴェンは答えた。
「なぜ私は作曲するかだって?
決まってるだろう、心の中にあるものが外に出たがっているからさ」
なぜ君はそれをするのか。
なぜ私は〇〇をするのか。
なぜ?
そうやって自分自身に問いかけてみると、本心は違う答えを返してくることがある。
ちょっと持ってみたかっただけ。
ちょっと注目を浴びたかっただけ。
富や名声を得て周りから称賛を浴びたい。
こんな風に、あんな風に見られたい。
立派な人と思われたい……などなど。
「こうしたい」「ああしたい」と思うことの裏には、まったく違う理由が隠れていたりする。
「あれが欲しい」「これが欲しい」と思っていても、実際に手にしとたん、欲しかったものが色あせて見えたり、そんなに欲しかったわけじゃなかったと気づいたりするのは、本心から求めているものではないからだろう。
本当の愛情が欲しくてイタズラをしたり誰かや何かを傷つけたりする子供のように、行動や言動の裏には、外からは見えない複雑な心象風景が広がっているものだ。
ベートーヴェンの言葉には補足がある。
「私は名声のために作曲しようとは考えなかった」
彼は心の奥にある魂の声に従っただけ。
ころころと動く心は雑音に乱されやすく、魂の声を聞き逃してしまう。
だから「なぜ?」と自問を繰り返すのだ。
ベートーヴェンがそうだったように、天上とつながった魂なら、きっと応えてくれるはず。
今回は「波の花」を紹介。古来より花にちなんだ言葉は多いですが、「波の花」もその一つ。冬の荒波に打ち寄せられた白い泡を花に喩えて「波の花」といい、花柳界では「塩」の隠語としても使われます。続きは……。
(211216 第767回)