為せば成る為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり
広く知られたことわざである。出どころは江戸中期の米沢藩主、上杉鷹山。窮地に追いやられた米沢藩を立て直し、民衆や部下からの信頼も厚かった鷹山は、困難に立たされるたびに、こんな風にして自分も周りも奮い立たせていたという。よく知られているからこそ忘れがちになるが、ときどき思い出したい言葉だ。
ある人がある場所で、こんなことを言っていた。
「わたしは、ものごとを考えるとき、〝できる〟〝できない〟ではなく、〝やるか〟〝やらないか〟で考えています。
そうすると、できないのはたいてい、やりたくないことなんですね。
だから、できない、やりたくない、と思うときに、この言葉を思い出して自分のお尻をたたいています」
―― 為せば成る為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり
人には「できること」と「できないこと」がある。
「できること」も、「やりたいこと」と「やりたくない」ことがある。
そして、「やりたくないこと」でも、「やらねばならないこと」もあるだろう。
それは「好き」や「嫌い」という自分の匙加減で決められるものではなく、もっと大きな何かから「お前にはできるか?」と試されているような、試練のような物事である。
そこに挑むかかどうかは自分次第だが……。
だから、
できるか、できないか、ではなく、
やるか、やらないか。
成功や失敗はもちろん、できる、できないは「やる」と決めたその先にあるものだが、やろうとする「やる気」の動機づけがなければ人は動けないのも事実。
なんのために、なにをするのか。
それを熟考すれば、おのずと答えは見えてくる。
あとは、そこに向かって動き出せばいい。
だれかも言っていた。
「どんなことも行動を起こせば、もれなく結果はついてくる」と。
今回は「三つの花」を紹介。
美しいものを花に喩えるのが好きな日本人は、内に篭りがちな寒い冬でも美しい花を愛でたいと思ったのでしょう。凍りつくような寒い朝、大地を覆い尽くすようにキラキラと霜が降り立ちます。この霜が「三つの花」です。続きは……。
(220223 第780回)