直感とは、自然の諸現象を単に漠然と眺めることではなく、注意深く見つめること
染色家の志村ふくみさんの言葉である。随筆集『語りかける花』の中の「光の根」というエッセイにあった。染織に一生をささげ、植物の声をひとことも漏らすまいと耳をすませる志村さんだからこその言葉だろう。
直感は、何もしなくともぱっと落ちてくるような、そんな棚から落ちるぼた餅ではない。
たとえそんなことが一度や二度あったとしても、それは「まぐれ」というもの。
挑み続け、目を凝らしつづけ、耳をすましつづけたものだけに降りてくる、束の間の閃光である。
それを取りこぼさず、さっと掴めるかどうかもまた、鍛錬による。
注意深く見つめる、集中の鍛錬である。
「注意深く見つめれば、自然はおのずから、その秘密を打ち明けてくれる。それは秘密などというものではなく、自分が何かに心うばわれ、見落としている現象である」
心のフルイの目が荒くなると、重要なものを見落としてしまう。しかしそれに気づき、熟視し、思いこらしたなら、急速にフルイの目は密になるのだと志村さんは言う。
その密な目に、直感は降りる。
「きめこまやかになるということは、自然の中に瀰漫している無数の粒子が、ある秩序のもとに統合されてゆくことであり、眠りの中に宿っている内なる光と、外界からの光とが相呼応して、視えてくることでもあるように思われる」
99%の努力の末につかんだエジソンの1%のひらめきも、おそらくそんな感じだったのではないだろうか。
今回は「薄氷」を紹介。
あたたかな春の気配を感じながらも、肌に冷たい風が残る早春の朝、思いがけず氷の貼った面に出くわすことがあります。うっすらと下方を浮きあがらせて朝日にきらめく春の氷、「薄氷(うすらい)」です。続きは……。
(220228 第781回)