平凡を非凡に努める
染色家の志村ふくみさんの著書『語りかける花』で、この言葉をみつけた。むかし、「平凡を非凡に」という題で京都新聞に掲載されたエッセイで、同じく染色家の宗広力三氏の昔語りにでてきた言葉だった。
宗広氏が新聞紙上に書いていた軍隊時代の友人のひとこと「平凡を非凡に努める」を志村さんが見とめ、苦しい境涯にあってひとしお身にしみたという宗広氏の心境を思い、こんなふうに書かれていた。
その文章をすこし引用させてもらう。
「平凡を非凡に努めるとはまさに先生の生涯だったと今、胸を打たれる。織物は一本の糸が切れても先へ進めない。一織一織、細い踏木の上に乗って一日中、手と足を上下左右に動かし、何万回の筬を打つ、平凡中の平凡である。その平凡を積み上げて、いつ非凡になるのか、一つの仕事をたゆまず続けてゆき、螺旋階段をのぼるように、少しずつ仕事の核にむかって己を精進させる――。」
―― 平凡を積み上げて、いつ非凡になるのか……。
それは誰にもわからない。
わからないから憧れる。
そこに何があるのか。
そこから何が見えるのか。
あたりまえのことを、あたりまえにつづけることは簡単ではない。
簡単に思えることほど、むずかしいものだ。
文章ひとつとっても、難しいことを難しく書くのは容易だが、難しいことを簡単に書くのは骨が折れる。
「重いものは軽く、軽いものは重いように」と千利休が言ったように、それとは思わせないようにするのが達人、名人の腕の見せどころ。
平凡なことを粛々と積み上げた非凡の技である。
ピカソの絵も、良寛の書も、子どものそれではないかと思うものが多い。
そこにたどり着くには、どれほどの平凡を積み上げていったことか。
非凡に達した人たちは口をそろえて言っている。
「継続は力なり」と。
平凡だと思うことをたゆまず続けていけば、いつの日か非凡ななにかにぶつかるかもしれない。
今回は「手向草」を紹介。
「手向草(たむけぐさ)」とは、桜、松、すみれの異称です。花を手向ける、供物を手向ける、神仏や死者の魂へささげものを差し出す仕草を「手向ける」と言いますが、手向草はその品々のこと。続きは……。
(220403 第786回)