幸運の女神に愛される極意は、惜福、分福、植福で生きること
仏教詩人、坂村真民の講話をまとめた『願いに生きる』(致知出版)でこの言葉をみつけた。言い方は少しちがうが、最後の章の末尾にあった。運を呼び込む極意として、幸田露伴の「幸福三説」を解説した渡部昇一の著書をとりあげ、運とはどういうものかを語っている。
運を良くするための秘訣といえば、経営の神様と言われた松下幸之助は「徳を積むことだ」と言ったそうだ。
徳を積むとは、つまり、人のために尽くすことだと。
たしかに、「徳」という文字を辞書で引くと、立派な行為とか、善行をするとか、身についた品性などの他に、「人格力(人間力)」「めぐみ」「神仏の加護」という、目に見えない力の働きを示す意味がある。
さらに、徳は「得」でもあり、利益、もうけ、富の意味も兼ねている。
だとすると、「徳を積む=人のために尽くす」ことは、人の利益やもうけ、得をするような行為を積むことであり、もっと簡単にいえば、相手が喜ぶことをするということに他ならない。
当然といえば当然だが、その行為を積み上げていくのは口でいうほど簡単ではない。
渡部昇一は、幸田露伴のいう「福」は「運」と同義であるとした。
露伴によると、幸福な人は「惜福」「分福」「植福」の「幸福三説」を心得ているといい、歴史上の名武将たちでさえ、これがなかなかできなかったのだという。
「惜福」とは福を惜しむという意味で、言い換えれば、やってきた福を大切にするということ。
「分福」はその言葉どおり、福を分ける、独り占めにしないということ。
「植福」は「福を植える」、つまり、自分には恩恵がなくとも、子々孫々のためにタネを植える、ためになる木を植える、ということだ。
源平の時代、源氏側の木曾義仲や源義経は借福に欠け、せっかくの武運も水の泡と化してしまった。
分福でいえば、平家は福を一族で享受して栄えたものの、分福の範囲が狭すぎて源氏の前に滅んでしまった。
その源氏も、頼朝ひとりが独占してしまったがために、一族は殺し合いとなり滅亡。
豊臣秀吉は、若い頃は惜福にも分福にも長けていたものの、晩年になってそれがなくなり、身を滅ぼした。
惜福の工夫にもっとも長けていた徳川家康でさえ、分福の工夫には少し欠けていたようで、ながく続いた徳川の世も、幕末は弱小の藩ばかりでまとまりがなく維新の中で瓦解してしまった。
歴史が物語るように、幸運の女神というのは容赦はない。
たとえ一時、微笑んで見せても、それは仮の姿。
「さあ、これからどうする?」
と、こちらの出方、生き方をじっとどこかで眺めているのだ。
今回は「手向草」を紹介。
「手向草(たむけぐさ)」とは、桜、松、すみれの異称です。花を手向ける、供物を手向ける、神仏や死者の魂へささげものを差し出す仕草を「手向ける」と言いますが、手向草はその品々のこと。続きは……。
(220411 第789回)