己こそ己の寄るべ、己を措(お)きて誰に寄るべぞ
お釈迦さんの言葉である。『法句教』にあるそうだ。いつか読んだ染色家の志村ふくみさんの著書『語りかける花』で見かけた。
お釈迦さんは、この世のすべてをお見通しである。この言葉に出会うタイミングも、お見通しだっただろう。言葉の本当の意味がわかるタイミングも、きっと……。
この言葉には続きがある。
「己こそ己の寄るべ、己を措きて誰に寄るべぞ。よく整へし己にこそ、まこと得がたき寄るべをぞ獲ん」
解説せずとも、なんとなく意味はつかめるだろう。
頼るなら、己自身に頼れと言っているのだ。
自分を差し置いて、いったい誰に頼るというのか。よりよく整えた自分こそ、他にはない拠り所ではないか。
松下幸之助翁も、同じような言葉を遺している。
「自分の最強の味方は自分だ」と。
人生は選択の連続である。
朝起きてから夜寝るまでの間、何を食べるか、何を着るか、どの道を行くか、どの電車に乗るか、一瞬一瞬のうちに、何をどうするかを、数ある選択肢の中からたった一つを選ばなければならない。
意識的に、あるいは無意識に。
命令に従うのも、ある意味、自分の選択である。(選択肢が十分にある民主主義の社会においては)
まだ決定権のない子供は別にしても、ある程度の年齢になり、分別がつくようになれば、選択の決定権は自分のものだ。
何を選び、どんな人生を歩むのか。
それを決めるのは他人ではなく、自分である。
そうとわかれば、なにがなんでも自分を信じたい。
「己が寄るべ」ならば、なおさらである。
ならば、自分を信じるために、拠り所となる力をつけよう。
自分が自分自身を頼れるくらいに力がついたら、大切な人や周りの人にも力を貸すことができるだろうから。
それが得意分野なら、人生万々歳だ。
今回は「心葉」を紹介。
心葉とは、「心」あるいは「心ばえ」のこと。あふれる想いや感情のことです。そのむかし、人は鳥のように音をつなげた歌で意思の疎通をしていたといいます。続きは……。
(220710 第802回)