本を読むのに資格はいらない。……と思っていたけれど、そうだろうか。読む側にも力量がいるのではなかろうか
染色家の志村ふくみさんの文章が好きで、一冊一冊なめるように読んでいる。これは『語りかける花』の解説者、藤田千恵子さんの解説の一文である。冒頭がこれだった。ドキッとした。はたして自分に、その資格はあるのだろうかと。
若いころにはわからなかったことも、歳を重ねてわかることがある。
一冊の本も1度目より2度目、数年後に読み返せば、以前読んだときにはわからなかったことが見えてきたりする。
本の内容は変わらないのに、そう感じるのは自分が変わったからだろう。
それを人は成長という。
本だけではない。
見るもの、聞くもの、触れるものすべて、受け取り方によって見え方も感じ方もぜんぜんちがう。
好きなように受け取ればいいのだが、見えないもの、聞こえないものを見たい聞きたいと願うなら、よりいっそう感覚を研ぎ澄まさねばならない。
少なくとも、志村ふくみさんの文章は、自ずとそれを求めるのだと藤田千恵子さんはいう。
「志村先生の文章は、難解でもなければ、人の読解力を問うような厳しいものでもない。ただ、耳を澄ませて聴くように、もっというならば、人が耳を澄まさずにはいられなくなるような音楽のように、心を澄ませて読まないではいられなくなるような向心力がある」
そうやって心をすまし、目をこらして読んでいると、静かな水面に突然波が立つように、胸を射抜かれるような一行に出会うのだ、と。
仕事にしろ学業にしろ、世の中には「資格」を必要とするものが多い。
しかし、その資格に値するだけの人物は、はたしてどれほどいるだろうか。
それもこれも、時を積み重ねなければ、本当のところはわからない。
時を重ねたとしても、わからないかもしれない。
だからこそ耳を澄まし、心を澄まして聞いてみよう。
静かに語りかける志村さんの声に。
「細胞が生き継いでゆくように、希い事も受け継がれてゆく。現代にしっかりした根をもち、その根から芽生えたものを疑わず伸してゆく、それが自分の一生の仕事だと守り続けてゆくことが大切だ、と切に伝えたい」
「これ」というなにかを、やりつづける。
たったそれだけのことが、むずかしい。
けれど、力量はつづけることでしか身につかない。
つづけた者にだけ、見えないものが見え、聞こえない音が聞こえ、ほんとうの「美」を手に入れることができるのだ。
今回は「浮き橋」を紹介。
言葉とはふしぎなもので、使い方、語り方で、その意味も雰囲気もガラッと変わってしまいます。
「浮き橋」とは、水上に筏や舟をならべて、その上に板を渡した仮の橋のことです。続きは……。
(220905 第810回)