選んだ道を自分で「正解」にする
「おやくそく」や「よのなかのルール」絵本で著名な高濱正伸氏の言葉である。高濱氏は低学年向けの学習塾「花まる学習会」の代表。子供たちに読み書きはもとより、思考力、判断力、野外活動の重要性を教える。いわば人生指南である。
「わが子をメシが食える大人に育てる」という名言で、子育て中の親たちはもちろん、世代も立場も超えて大人気。高濱氏の指南は、わかりやすいのに本質がぎっしりつまっている。
これは、第二弾の「もっとよのなかルールブック」にあるらしい。新聞の見出しで見つけた。
内容の紹介文に目をとおすだけで、何十年も「大人」を生きた人間も「おお!」と唸ってしまう。
「もっと早く知っていれば・・・」とまで思ってしまう。
「そんなの当たり前でしょ」と言われても、当たり前を忘れるのが大人なのだ。
この本の最初で「『よのなかの当たり前」』を当たり前にやる」ことの大切さを説いているのも、なるほど納得である。
大人のいうことを聞いていればよかった子供時代を経て、中学、高校、大学生、そして社会人と、人は成長するにつれて悩みも増える。
とりわけ、生き方を悩む。そして人生の道に迷う。
昔も今も、人間の本質は変わらない。
「迷うほどの選択肢がある」ということも、現代人には悩ましい。
それならば、いっそ、
「選んだ道を自分で『正解』にしてしまおう」
というのが、高濱氏の論。
というか、そうするしかないし、それが「生き方のルール」なのにちがいない。
夏目漱石の『二百十日』という小説に、こんなくだりがある。
変わり者のある学者が、人生を憂い悩む青年に言うのだ。
ちょっと長いが、引用する。
「わたしは名前なんて宛にならないものはどうでもいい。ただ自分の満足を得るために世のために働くのです。結果は悪名になろうと、臭名になろうと気狂になろうと仕方がない。ただ働かなくっては満足ができないから働くまでのことです。
こう働かなくって満足ができないところをみると、これが、わたしの道に相違ない。
人間は道に従うより外にやり様のないものだ。
人間は道の動物であるから、道に従うのがいちばん貴いのだろうと思っています。
道に従う人は神も避けねばならんのです。岩崎の塀なんか何でもない。ハハハハ」
「岩崎の塀」というのは、かの岩崎弥太郎の屋敷の塀のこと。人生を憂う貧乏青年が金持ちたち(ここでは岩崎弥太郎の屋敷の塀)を恨めしく思っていたのを、おなじ貧乏でも楽しげに我が道をゆく彼の師がそう諭したのだ。
「選んだ道を自分で『正解』にする」とは、そういうことだろう。
間違いに気づけば、修正すればいいだけのこと。
高村光太郎流にいえば、歩き続ければ、やがて自分の後ろに道はできるのだ。
今回は「秋麗」を紹介。
うららかな秋、「秋麗」は「しゅうれい」とも読みますが、もうひとつの読み名「あきうらら」のほうが、なんとなく秋の風情を感じませんか。続きは……。
(221115 第820回)