あなたが自分を大切にして、幸せでいるとき、愛する力は育ちます
一度紹介したことがある。ベトナム人の禅僧で平和活動家の、ティク・ナット・ハンの言葉だ。理由もなくシンドイとき、ときどきこの人の本を開く。すると、「ああ、心が渇いていたんだな」と気づく。ちょうど肌も乾燥しやすい季節だから、そのせいかもしれない。著書『愛する』で愛の言葉を補給したら、ちょっと潤ったような……。
いつもは気にならないことなのに、なぜかその時ばかりは「カチン」ときた、ということが人生にはたびたび起こる。
無性に腹が立ったり、イライラしたり。
ささいな言葉がひっかかったり。
心がささくれているから、悪態もつく。
そうなると、他人も自分も傷つき、生活はどんどんやさぐれてゆく。
ああ、いけない……、そう思いながらも、なぜか心は言うことを聞いてくれない。
寝不足? ホルモンバランスの影響? 自律神経の乱れ?
どれもきっと当てはまるにちがいない。
でも、もっと心の深層にもぐっていくと、今にも消えてしまいそうなほどか細い、カサカサに乾いた本心の擦れ声が聞こえてくる。
「助けて…、のどがかわいた……、愛が消えそう……」
と。
仏教的に言えば、愛とは仏心、仏性のことだろう。
「真心」や「一無位真人」などともいう。
それが消えてしまうというのだから、ただごとではない。
よくよく耳をすませば、
「あんた、最近ムリしてるやろ! ええカッコしてるんちゃう?! やめとき、やめとき! アホらしい。そんなことしたって、どうせ化けの皮や。いつかはがれる。もっとアンタらしぃしたらええねん!」
と、死にそうな仏心は関西弁でまくしたてる。
仏さんは、関西人らしい。
そうか、ほな……ということで、目についたティク・ナット・ハン老師の『愛する』を開いたら、やっぱりあった。仏心の救済方法が。「愛の育て方」と銘打ってある。
「どんなものでも、生きているものはみんな養分を必要とするのです。
それは愛ですらも同じこと。
育て方を知らないと、愛はしおれてしまいます。
あなたが自分を大切にして、幸せでいるとき、愛する力は育ちます。
『愛する』とはすなわち、『幸せの育て方』を学ぶことなのです」
ほほぅ、なるほど、そうか。
自分を大切にして、幸せでいたら、愛する力は育つのだな。
たしかに、サボったりずる休みでもして、ついでに好きなことをして楽しんじゃったら、「すみませんねぇ」って気持ちにもなる。
「ご迷惑おかけしました。これから気持ちを入れ替えて、もっとがんばります」なんて気持ちにもなりますね。
それが「愛」ですか? 仏心は救われますか?
と問うてみると、
「まあ、あんまりええ例えとは言えへんけど。ようは、そんな弱い自分もおるってことがわかったらええねん。ほな人にもやさしくなれるやろ? そういうこっちゃ」
と仏心。
ティク・ナト・ハン老師が、すかさず合いの手ならぬ愛の手を差し出した。
「真実の愛は4つの要素でできています。
それは、
やさしさ、思いやり、喜び、おおらかな広い心。
この4つが備わったとき、あなたの愛は、癒しと変容の力を持ち、神聖なるパワーを宿します」
これを聞いて、仏心はニヤリ。
安らかに、堂々と遊びにでかけていった。
今回は「秋麗」を紹介。
うららかな秋、「秋麗」は「しゅうれい」とも読みますが、もうひとつの読み名「あきうらら」のほうが、なんとなく秋の風情を感じませんか。続きは……。
(221201 第822回)