僕はささやかな喜びでも幸せを感じる
伝説のパティシエ、西原金蔵氏の名言のひとつ。2018年5月31日、65歳の誕生日をもって、惜しまれつつも京都の洋菓子の名店「パティスリー・オ・グルニエ・ドール」を閉店、2019年に店名も新たに土日限定のコンフィズリー「エスパス・キンゾー」を開店した金蔵さん。アラン・シャペルの薫陶をうけ、自然に倣った生き方で伝説のパティスリーにまで上り詰めた金蔵さんのミラクルな人生は、この言葉に集約されているのではないかと思う。
老子は「足を知るものは富む」と言った。
きっとそれは、金蔵さんのような人を言うのだろう。
ささやかな喜びでも幸せを感じられる人なのだから。
偶然にも、本サイトの「メンターとしての中国古典」で現在、『老子』のその名言について説明している。
「足るを知るものは富み、強(つと)めて行う者は志有り」と。
知人から聞いた話だが、ある人が「幸せ」について、こんなことを言ったそうだ。
「神さまってすごいですよね。『これが幸せ』と〝幸せのカタチ〟を限定しなかったんですから」
塩むすびひとつで満足する人もいれば、何を食べても不服をいう人もいる。
財産がたくさんあっても不幸そうに見える人もたくさんいるし、貧しくてもいつも笑顔で幸せそうな人もいる。
そのちがいはなんなのか。
「足るを知」っているか、どうかだろう。
この「足を知る」、簡単そうで、案外むずかしい。
あれもほしい、これもほしい、ああしたい、こうしたい、ああなりたい、こうなりたい……と、欲を出せばきりがないのが人間だから。
コップに水を足しつづけると溢れるように、人間にも容量というものがある。
それなのに、容量以上のものを取り入れようとするから苦しくなるのだ。
まんぷくなお腹に、さらに食べ物を詰め込むように。
足るを知らない人は、満腹中枢が狂ってしまっているのかもしれない。
そんなときは、一度、断食でもするといい。
そうすれば、コップ一杯の水や一粒の米だって美味しく、ありがたく思うはず。
幸せのカタチは、ひとりひとりちがう。
けれど、「幸せ」と感じる心は、きっとみんなおなじ。
使うコップも子ども用から大人用のコップに変わるように、人間も成長に合わせて必要な栄養も、その容量も変わってゆく。
金蔵さんは、そのときどきの「ささやかな喜び」で心を満たし、「幸せのカタチ(器)」をどんどん変えていったのにちがいない。
滴滴と、したたる水が大海へ流れてゆくように。
今回は「秋麗」を紹介。
うららかな秋、「秋麗」は「しゅうれい」とも読みますが、もうひとつの読み名「あきうらら」のほうが、なんとなく秋の風情を感じませんか。続きは……。
(221207 第823回)