こちら側にそれを受けとめて生かす素地がなければ色は命を失うのです
染色家の志村ふくみさんは草木から色を引き出すプロフェショナルだが、色といっしょに草木の言葉も引き出したのだろうか。蓄えた言葉の色のゆたかなこと。随筆『語りかける花』には、草木に耳を傾ける志村さんの姿がうかぶ。
食材を買ったはいいが、どう料理していいかわからないとなると、買った食材も無駄になる。
野菜はどんどん萎びてゆくし、肉も魚も血の気が引いてどす黒くなる。
そのもの本来の色は失せ、奪われた生命は行き場をなくし、正真正銘いのちを失う。
食材を生かすも殺すも、料理人の腕とセンスしだいということか。
いただいた生命を慈しみ、哀れみ、愛情をもって生かそうとする。
そのこころ、素地が人間になければ、生命はとっくに途絶えていたことだろう。
学校の授業の一環で、草木染め体験の講師に呼ばれた志村さんのもとに、講義のあと先生と生徒たちからお礼の手紙が寄せられた。その先生の言うには、
「志村さんが『こちら側にそれを受けとめて生かす素地がなければ色は命を失うのです』といった言葉はそのまま教育にあてはまる」と。
花の色はうつりにけりないたづらに……と小野小町が歌うように、花の色は時とともに移り変わる。
だが、移り変わるだけで命そのものは失ってはいない。
花の色は風にさらわれ空気に融けこみ、花弁は土に還っていったのだ。ふたたび美しい花を咲かせるために。
小野小町の美貌も、その嘆きとともに何度も返り咲いているように、受けとめて生かそうとすれば、人もモノもいきいきと生命力をとりもどす。
今回は「雪中花」を紹介。
白い6枚の花弁に、黄色い盃をのせた水仙。雪に覆われた土のなかで、いちはやく春のぬくもりを感じとって小さな花を咲かせるこの花は、江戸時代までは「雪中花(せっちゅうか)」と呼ばれていました。続きは……。
(230210 第830回)