人々を不安にするものは、事柄それ自体ではなく、その事柄に関する考え方である
ローマ時代のストア派を代表する哲学者、エピクテトスの言葉を紹介。出自が奴隷、のちに私塾講師にまで上り詰めたエピクテトス。その根本思想はおそらく、ものごとは考え方ひとつで「幸」にも「不幸」にもなるというもの。古今東西、偉人賢人たちの言うことは共通している。著書『奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業』より抜粋。
例え話でよく耳にする話がある。
「コップに水が半分入っているのを、“これだけしかない”と思うのか、“まだこれだけある”と思うのか、その違いは大きい」
幸・不幸を分ける、見方、考え方の違いである。
頭で理解している人は多いだろうが、いざ現実となるとそうはいかない。
人間だもの……と言ってしまえばそれで終わる。
その考え方をどうにかして、不安や苦しみから解放されたいと願うのもまた、人間なのだ。
かつて夢中になった本や音楽が時とともに色あせることがあるように、喜びや感動だけではなく、苦しみや悩みも時が過ぎれば「なぜあんなことで?」と思うことがある。
「あのことがあったから…」と、苦労も挫折も幸福の種になっていたことが、後々になって附に落ちることも。
そうなってようやく、目の前が拓けるような、すべての現象が輝いて見える。
目の前の事象や現象、世界はこんなにも、いろんな色に満ちているのだと。
―― 照見五蘊皆空(しょうけんごうんかいくう)
五蘊はすべて空なりと照らし見る。
『般若心経』の冒頭一段のなかの一節で、五蘊とは色、受、想、行、識という、およそ宇宙に「ある」と思われているものすべてを分析して5つに分類したものだ。
受・想・行・識の4つは精神的な面を指し、
色はcolourではなく、肉体と外界にある物質現象、いわゆる物質的なものすべてを指す。
「人々を不安にするものは、事柄それ自体ではなく、その事柄に関する考え方である」
というエピクテトスの言葉は、おそらくこのことだろう。
色即是空 空即是色。
目の前に「ある」ものは、もはや「ない」。
時、場、人が、「ある」ものを「ない」ものに変え、「ない」ものを「ある」ものに変えてしまう。
すべては空で、人の数だけ色がある。
どんなことも、見方、考え方しだいで、どうにでもなるということだ。
今回は「万緑」を紹介。
目に青葉山ほととぎす初鰹……と、思わず口づさんでしまう初夏。字面からも、なんとなく想像がつくでしょう。見わたすかぎり青々と緑が生い茂った景色が「万緑」です。続きは……。
(230603 第843回)