河に栖んで力あるものは、陸に登って悩む
禅宗である臨済宗の開祖栄西の言葉。『興禅護国論』に書かれている。
はじめてこの言葉に接したとき、「ある環境で成功した者は、ほかの環境下で生き残ることが難しい」という意味かと思った。しかし、栄西の思考の射程は短い。だれの心の裡にもある、人間がゆえの弱点について述べているのである。ひらたくいえば、「自分が持っていない能力を身につけている者を羨むものではない」ということ。
人間は中途半端に考える力を持ってしまったがゆえ、なにかにつけ他人と自分を比較しないではいられない。容姿、生活水準、学校や社会での成績、家柄、住んでいる場所にまで。おそらく、かなり修行を積んだ僧侶でさえ、自分と他人を比べることをやめないではいられない。マキャヴェリが喝破しているように、その差が絶大であれば羨望や嫉妬心は起こらない。大谷翔平の収入とわが身のそれを比べて悩む人はいないであろう。
しかし、その差が思考の範囲内であれば、羨望と嫉妬の炎は盛んになる。乾季の野火のごとく。
それでも人間の力を信じたい。そのためには、自分の外ではなく、自分の裡を見つめる。以前の自分と現在の自分を見つめ、少しでも成長の跡が認められれば「良し」とする。その小さな連なりの先に、より良い自分がいるのではないか。
「桃花紅李花白」という禅語がある。桃の花は紅く、李の花は白い。どちらかが優れているのではなく、それぞれにいいのだ。
(240317 第854回)