真の友人がいなければ世界はただの荒野に過ぎない
フランシス・ベーコンの『随想集』にこの言葉がある。
思うに、人生とは真の友人と出会う旅なのではないか。いきなり真の友人に出会うことはないから、「出会う」ではなく「育む」としてもいい。いずれにしても、互いに心から信頼し合うことのできる人がいるかどうか。そういう人が一人でもいれば、その人の人生は輝いていると言ってまちがいではない。
友人は、親子やきょうだいでもいい。血縁者が真の友人になるのはけっして易しくはないが、真の友人ともいえる親類がいるのもいい。武田信玄は弟の信繁に、豊臣秀吉も弟の秀長と肝胆相照らす関係を維持していたが、両人とも弟を失ってから少しずつ歯車がずれ始めたような気がする。
では、どうすれば真の友人と出会えるのか。
これがなかなか難しい。
私は経験上、人間にはいくつかの類型があり、それが合わないとどんなに努力をしても真の友人にはなりえないと思っている。もともと型が異なるのに無理をして親密になろうとすると、早々破綻の憂き目にあう。
まずは同じ型の人に出会うことが重要だ。そのためには多くの人と交わり、自分と同じ型の人間を察知する能力を磨かなければならない。そのうえで、互いに「教え合う」関係を構築し、維持する。
一方通行は長続きしない。互いに教えるのだ。それによって、両者は少しずつ少しずつ近接し、やがて真の友人となる。
そんなふうに思っているが、それが正しいかどうかはわからない。
(240421 第856回)