美というものは役に立たないように見えるが、それでいいのだと思う
堀文子の言葉は本コラムにたびたび登場している。どの言葉も真剣に一日一日を生きてきた人の信念がこもっている。
美(芸術)は役に立つか? これは永遠の問いでもある。
コロナ禍以来、エッセンシャルワーカーの価値がクローズアップされている。エッセンシャルワーカーとは「時代がどんなに変わっても必要不可欠な仕事をする人たち」のことをいう。
その概念に照らせば、芸術家やクリエーターはけっしてエッセンシャルワーカーとはいえない。それがなかったら命が絶たれるというものではない。
しかし、美を求める心がなくなってしまったら人間である意味はないと思う。人間が人間である最後の防波堤が「美を求める心」なのではないか。
なぜなら、人間はありとあらゆる欲得に駆られて生きている。欲望の総体を測る器械があったら、その数値は天文学的となるだろう。
そして、その欲望に歯止めをかけられないのが人間の宿命でもある。「自由」という名のもとに、法にふれなければなんでも許されると思っている。言葉による暴力行為と表現の自由の区別さえつかない輩がのうのうと自己主張する世の中だ。
上掲の言葉に、以下のような言葉が続く。
――役に立ったら欲と結びついて美は消えてしまうだろう。
美の本質を知っていた堀文子さんならではの、真理に透徹した見識である。
それにしても堀さん、最期まで気難しい顔をしていた。もうちょっと春風駘蕩というか柔和な表情になれなかったものか。それだけが気にかかる。
(240519 第858回)