日本人として覚えておきたい ちからのある言葉【格言・名言】
HOME > Chinoma > ちからのある言葉【格言集・名言集】 > よう「この目でみた」と確かそうに言いよるが、その目がアヤシイんじゃ。凡夫の目じゃないか。

ADVERTISING

私たちについて
紺碧の将

よう「この目でみた」と確かそうに言いよるが、その目がアヤシイんじゃ。凡夫の目じゃないか。

沢木興道

只管打坐の実践者として大勢の迷える人々を導いた沢木興道老師。
その口と手がつむぎ出す言葉は、いちいち心に突き刺さる名言揃いで、とても一つに絞ることはできない。

 

老師は、常に「人間へのあきらめ」を帯同して生きていた。
それは、老師自身が座禅を通じて「悟り」を開いていたからではない。
「座禅することの良し悪しを論ずるは愚か。座禅するときはただ座禅せい」と説く老師にとって、どこまでいってもダメな人間(自分)から離れることのできる唯一の術が座禅であった。

 

座禅を常習とせずとも、「座禅の思考」を身につけておくことはできる。
この目、この耳、この心。我の所有する感覚、感性など、まこと取るに足らないものなのだという「あきらめ」をもって人生を見渡すことである。さすれば「謙虚」と「誠実」というお土産くらいは手に入るかもしれない。
もっとも、そう考えること自体が、老師からすれば、愚かな人間の所業ということになろうが・・・。

(130408第69回)

【記事一覧に戻る】

ADVERTISING

メンターとしての中国古典(電子書籍)

Recommend Contents

このページのトップへ