人は皆、直接、他者の本質を把握することはできません。できるのは、互いの魂にそっと触れ合うことだけです。
全盲ろう者でありながら東京大学教授として活躍する福島智さん。光も音もない世界に生きていながら膨大な論文を読み書きし、講義をし、ゼミを指導し、国際会議で講演もする。「いったいどうやって」と誰しも不思議に思うことだろう。それを可能しているのが「指点字」である。
点字を作成するタイピングには法則がある。福島さんの指をキーボードにみたてた母・令子さんが、試しに点字を作成する要領でタイピングをしてみると、福島さんは母の言葉を見事に理解できた。訓練をつむことで非常に正確かつ高速に言葉を理解できる指点字は、全盲ろう者にとっては新しい「言語」の誕生に等しい。
視覚も聴覚も使えない福島さんにとっては、相手から投げかけられる言葉は、専用のパソコンから流れてくる点字ペーパーと、母親やボランティアが自分の手のひらに打ち込む指点字、この2つのかぎりで読み取るほかない。そのとき、福島さんの脳と心のなかでどのような解釈が生じているのかはまったく想像もできない。点字の表す文字だけで、この世のすべてを読みとるということ。そこにはどのような壁があるのだろうか。
福島さんのファンの一人として、著書や講演で氏の言葉に触れるたびにこの疑問が湧き起こっていたのだが、東大の入学式で福島さんが新入生に伝えた上の言葉に答えがあった。
喜んでいるのか、怒っているのか、笑っているのか、泣いているのか。
相手の表情も声も把握できない福島さんにとっては、自分の相対する人間がどのような感情を抱いているかをダイレクトに知る術はない。ましてやどのような人格(本質)の持ち主であるかとなると、長年の付き合いがあるのでもないかぎり認識は不可能であろう。
そういう福島さんだからこそ、他者とのコミュニケーションには常人の想像をはるかに超える精度をもって臨んでいるはずだ。
自分の心を開くこと。そして相手も心を開いてくれるのをひたすら待つこと。他者とのコミュニケーションにおいて大切なことは、つまり、魂のやりとりということだ。
これは福島さんの個人的な境遇に由来して得られた “コツ” ではあるが、決して個人的な告白にとどまるものではなく、万人に通用することである。
物や金や、時にはチヤホヤと相手を褒め称える虚ろな言葉で飾り付けた軽薄なコミュニケーションが、この世にはあふれかえっている。
いまや生身のコミュニケーションに取って代わる存在のSNSには、「いいね」の数が多いことに何か特別の価値があるかのような錯覚に陥っている人が蔓延している。
「『いいね』をくれたらこちらもすぐに『いいね』を返します!」
「フォローしてくれたら100%フォロー返ししますよ!!」
こんなやりとりを散見することがある。
薄っぺらい自尊心を満たすこと以外に、この類のコミュニケーションには何の意味があるのだろうか。
人生の充実ぶりを計る尺度も、人生を充実させるための時間も、私たちが考えているほど多くはない。
(130516第74回)