己をうしなえる生は死よりも意義なし。己をうしなはざる死は生よりも意義あり。
長谷川如是閑
如是閑の言葉の対義を考えてみる。
後半の「己をうしなわざる死」の対義は「己をうしなう死」。
これは自殺や殺人など己の意に反する死によって絶命する場合が典型だ。
それが「生よりも意義のない」ことは当然だからここでは問わない
他方、前半の対義である「己をうしわない生」とはなにか。
己の決定に従い選択した道を己の足腰で歩いて行くことである。
スタートラインに立つとき、そしてゴールにたどり着くまでの道程。
そのどちらも自己決定できているとき、人間は幸福を感じる。「幸福」が言い過ぎであるなら「充足感」あるいは「生の実感」などと言い換えてもいい。
現代では、もはや自分の道を自分で決めて自分の足で歩くことすら難しくなっている。
どこかで誰かの助力や導きや、ときには指図や命令や運命によって身の振り方を決めざるを得ない生き方が、この世にはあふれている。
一度しかない人生だ。
天のお迎えはいつ来るかわからない。
貧乏したっていいじゃないか。
己の力で未来を切り拓く楽しさを存分に味わって生きていこう。
そういう生き方だからこそ「死よりも意義のある」ものになるのである。
天寿とは、長生きをした人にだけ与えられる称号ではないのである。
(130527第75回)