問えば言ふ 問わねば言わぬ達磨どの 心の内になにかあるべき
一休
「面壁九年」と言えば、菩提達磨。
洞窟の岩壁に向かって9年間座りつづけ、沈思黙考の末、さとりに達したと伝えられている。
禅の坐禅は、ここからきているという。
座るもよし、立つもよし。
我を忘れるほど、何かにとことん打ち込むことが重要だということ。
問いも答えも外にはない。
ひたすら自分自身との対話で問答をくりかえすことが、唯一、行きたい場所に行ける近道なんじゃないだろうか。
こんな近道なら、だれも文句は言わないのでは?
(151007第126回)