「生」は“生きる”という意味ではありません。“生まれる”という意味であります
盛永宗興
妙心寺塔頭大珠院住職であり、花園学園の学園長でもあった盛永宗興氏の言葉である。
当たり前のことだが、今日という日は明日になれば過去になり、明日という日もまた、明後日には過去になる。
今この瞬間も、次の瞬間にはもう、巻き戻しのきかない過去のものとなってしまう。
生と死は表裏一体。
「生」が「生まれる」ということなら、われわれは、瞬間、瞬間、生と死とを同時に体験しているのかもしれない。
盛永老師は言う。
「私たちは、自分が生き続けているのだと思っています。しかし、相対するもの、環境の変化、あるいは出会う環境のちがいによって一瞬一瞬変化しているにもかかわらず、自分という何か壊すことのできない塊が生き続けているように錯覚している。けれど、実は、私たちは一瞬一瞬、死んでは生まれ、死んでは生まれているのです」
死んでしまった昨日や一瞬前のことを悔やんでなんになる。
そう思うと、一瞬たりとも無駄にはできない。
禅の修行において最終の境地とは「遊戯三昧」だという。
ひとつひとつを意識して、いまこの瞬間を味わおう。
(151218 第148回)