行きづまったら、冬眠する。そうすれば無駄なケンカも競争もしなくていい
堀文子
真剣に孤独と向き合い、自然の命を描き続ける日本画家、堀文子。100歳を目前にして凜としたその姿は、彼女が描く草花同様、無駄な飾りがない。踏まれても摘まれてもあきらめず、志を貫き自力で生き抜く名もなき花たちの姿とかさなり、まるで、草花たちが彼女の声を借りて語りかけているようだ。
冬。
生きものたちは、生きのびるために息をひそめる。
訪れる春を待ちわび、ふたたび命を謳歌するためにエネルギーを蓄えているのだ。
だれに教えられたわけでもないが、生きていくための術が、すでに体の内に組み込まれているからだろう。
それは、人間とて同じこと。しかし、かなしいかな、人間に冬眠はない。ないから永遠に戦いつづけるのだと、堀文子は言葉をつなぐ。
ときに、戦いつづけた体は悲鳴をあげ、冬眠ならぬ闘病に向かわせようとするのだから、自然の摂理はあなどれない。
「木は無意味な消耗をさけて、冬は葉を落として冬眠しているのです」
行きづまったら、無用な枝葉は削ぎ落とし、根や幹の温存につとめ、つぎなる季節に備える。
堀女史と草木からのメッセージである。
(160117 第157回)