「あの人はちっとも変わらない」といって喜ぶのは、いい意味にもなりましょうが、実はちっとも成長していなかったという悲しむべき結果であることもあります
白洲次郎の妻であり、文筆家であった白洲正子。芸術家や有識者たちとの親交も厚く、知的好奇心と独自の美的センスが生活全般にゆきわたった彼女の生き様は、「カントリー・ジェントルマン」とも称された夫次郎の生き様同様、憧れる人は多い。
脳が成長ししつづけることは科学的に実証されているという。つまり、人間は成長し続ける生きものだということ。
久しぶりに会った友人知人に、「ぜんぜん変わらないね」と言われてついつい喜んでしまうのは、単に姿形が昔と変わらず若々しいと褒められていると思うからであり、また、相手側も多少のお世辞を含めても若々しさや思考言動に変わりがないことを褒めることが一般的によしとされているからだろう。しかし、ほんとうにそれは喜ばしきことなのだろうか。
人間は成長しつづける生きものであるならば、本来は変わらなければならないところ、「ぜんぜん変わらない」と言われてしまうのは恥ずべきことではないか。
「若い頃、美男だった人が三十になるとふつうの男になり、四十すぎると見られなくなるのは、みんな自分のせいです。時間のせいではありません」
年を重ねるということは、だんだんに美しくなっていくことだと正子はいう。
どんなことも不易流行で、変わらないものと変わっていくものがあって当然。
「ぜんぜん変わらない」がどの部分を指すのかはわからないが、「会うたびに素敵になっていくね」と言われるようになりたいものだ。
(160220 第168回)