一生懸命にやった途端に面白くなるのが仕事で、やっているうちに飽きてくるのが趣味
『幸福論』や『眠られぬ夜のために』の著書で知られるカール・ヒルティは、法学者、哲学者、政治家という立場から、人生に大きな意味と喜びを与える「仕事」について、もっとも分かりやすくこう述べている。まさに、言い得て妙である。
65歳を過ぎたら定年退職という企業の仕組みは、何を持ってそう区切りをつけているのか。
昔ならいざしらず、寿命がどんどん伸びている現代において、65歳というのはまだまだ働き盛りの年齢ではないか。しかも、サラリーマン自身も定年の時期を楽しみにしている人が多いというのだから驚きである。
「定年後はゆっくりと温泉巡りでもして遊んでくらしたい」とか、「したくてもできなかったことをやってみたい」とか、「家庭菜園にはまっています」などという言葉を耳にすると、これまで積み重ねてきた技術や知識は何だったのかと言いたくなる。
もちろん、いろいろな人生があってしかるべきだし、それが悪いとは言わないが、これといった趣味も持たず、日々がむしゃらに働いてきた人間が、65歳を境にしてとつぜん悠々自適な隠居生活ができるとも思えない。
楽しいのは最初の数日、よくて数週間といったところか。手持ち無沙汰になるのも時間の問題であろう。
したくてもできなかったというのはただの言い訳にすぎないし、家庭菜園をするくらいなら、農家に手伝いに行くなり、自ら農業を営んで社会に貢献するなりして、社会とのつながりをもつほうが収入面でも精神面でも、より豊かに暮らせるのではないか。
最近話題のアドラーも言っている。
「『自分は誰かの役に立っている』と感じられたときに、はじめて自らの価値を実感できるのだ」と。
「仕事は辛いもの」と思っているうちは、まだまだ一生懸命さが足りないのかもしれない。
65歳と言わず、「仕事はおもしろい」と思えるまで、何らかの仕事にとことん打ち込んでみてはどうだろう。
(160307 第173回)