希望はもっぱら人をたぶらかすものだが、それでも、人生の終着点まで楽しい道を通ってわれわれを行き着かせることにおいて少なくとも役に立つ
フランソワ・ド・ラ・ロシュフコー
ずいぶん前にも一度、ロシュフコーの言葉を紹介した。
世の多くの格言や名言が性善説からによるものであるのに対し、ロシュフコーのそれは性悪説からの言葉であるため、激辛なものが多い。
その中でも、比較的甘めな言葉を選んだつもりである。
希望をもてばもつほど期待はふくらむ。
針でさされて徐々にしぼんでいく程度ならまだしも、ふくらみすぎてパンッと割れてしまうとショックが大きい。
ロシュフコーの言うとおり、希望は人をたぶらかすのだ。
しかし、あらかじめ、たぶらかされることを知ってさえいれば、それほど傷つくこともあるまい。
夢を描いたり、希望に胸をふくらませている間はわくわくするし、意欲も増しているから、チャレンジ精神も旺盛で成長できる。
成長した先に待っている新たな地平は未知なる世界。成長に見合った試練もあるだろうが、それ以上に素晴らしく楽しい世界にちがいない。
いや、試練などと考える必要はないのだ。
子供をみればよくわかる。
毎日が冒険で、新しい世界の発見に目がきらきらと輝いているではないか。
「試練って、なに?」と言わんばかりに。
人生の旅路を辛く苦しいものにするのか、わくわく楽しいものにするのか。
「旅をするならどんな旅がいい?」
子供たちなら、なんて答えるだろう。
(160523 第198回)