母国語の語彙は思考であり情緒なのである
作家、新田次郎と藤原ていを両親にもつ数学者の藤原正彦。著書『国家の品格』では、現代の日本人に必要なのは情緒と国語力、そして武士道精神であると提言している。中でも藤原氏が最も危惧しているのが国語力なのだろう。この言葉は、著書『祖国とは国語』から抜粋した。
熊本地震の被災地を見舞われた天皇、皇后両陛下のお姿を、新聞やテレビなどで目にした人は多いだろう。
先の東日本大震災のときも、両陛下はすぐさま被災地を見舞われた。幾たび、そのような光景を目にしてきたことか。
日本国民のために日々祈りを捧げているお二人のお姿を想像してほしい。
「お体はだいじょうぶでしたか」
「大変でしたね」
「おつらかったでしょうね」
両陛下は床に膝をつきながら被災者の方々にお言葉をかけられた。
そして、災害対応や救助活動に尽力した警察官や消防関係者、ボランティアの方々へも労いのお言葉をかけられた。
「命を救ってくださってありがとう」と。
これらの言葉が心に沁みてはこないだろうか。
言葉の意味だけでなく、そのむこうにあるお二人の御心を思うと胸が熱くなる。
言葉は単なる伝達ツールではない。
親がわが子に最初にかける言葉には、どれほどの愛情が籠もっているだろう。
生み育ててくれた親であっても、言葉の真意を理解するのはむずかしい。
しかし、同じ言葉をもつ子供だからこそ、その言葉の背景をも想像することができるのだと思う。
(160529 第200回)