他人の幸福を羨むなんて愚かしいかぎりさ。幸福は出来合いじゃ駄目なんだ。あつらえでなければね
アンドレ・ジッド
1945年にノーベル文学賞を受賞したアンドレ・ジッド。ときに「アンドレ・ジイド」とも「アンドレ・ジード」とも表記されるが、そのジッド自身の告白小説として知られる『背徳者』からの一節である。
他人の幸せを心から祝福できる人こそ、ほんとうに幸せな人にちがいない。
SNSなどで他人の幸せそうな日常を見て、嫉妬したり、妬んだりひがんだり一喜一憂するというのも、自分は幸福だと感じていないからではないか。
ロシュフコーは幸福について、「われわれが友人の幸福からとっさに感じる喜びは、ひとつの自己愛の表れである」と言っているが、つまりそれは、友人の幸福から何かしらおこぼれがあるのではないかという希望や欲得が心をくすぐるのだというのである。
なんとも手厳しい箴言だが、それだけ人は自分の幸福を他人任せにしがちだということだろう。
ときには出来合いのものもいいかもしれないが、やっぱり手作りのごはんは美味しいし、なにより心が満たされる。幸福もそれと同じ。
幸せなのに何だか満たされていないと感じるときは、それは出来合いの幸せが続いているのではないだろうか。
じっくり丁寧につくった手作りの幸福を一度でも味わうと、出来合いのものをほしいと思わなくなる。
他人の幸福を心から祝福できる人は、そのことを知っているのだ。
(160604 第202回)