しばしこそ 富めるまづしき かはりあれ 終の行衛を たれか定めん
和宮
十四代将軍徳川家茂の正室、和宮の歌である。
彼女は有栖川熾仁親王と婚約していたが、公武合体政策のため、なかば強引に将軍家に嫁ぐことになった。しかし、家茂のやさしさにふれ、思いのほか仲むつまじい夫婦だったという。
明治以降に彼女が詠んだ歌は数多く残っていて、この歌もそのひとつである。商人や物乞いの人たちの声を聞いて詠んだ歌だ。
「すこしのあいだ、裕福であろうと貧しかろうと、たいした変わりがあるでしょうか。最後に行き着くところは、誰にも定めらないのですから」
この世にいる時間は「しばしこそ」。
はてしない、向こう側からのしばしの旅路である。
そう思えば、出会う人や目にするものすべて、出来事のひとつひとつがかけがえのないものだと思える。
どんな人と出会い、旅を共にするのか、どんな出来事に遭遇し、魂の喜びとするのか。
目に見える貧富の差はあっても、心の貧富はそれに比例しない。
可愛い子には旅をさせろとばかりに、天は「しばしこそ旅にでよ」とわれわれを送り出したのだろう。
どんな姿で還ってくるだろうと、楽しみに待っているかもしれない。
新しい環境でいろいろな体験をして、もまれて大きくなって、お役目を果たしたら還っておいでと、遠く空の向こうで待っているのかもしれない。
(160717 第216回)