その道に苦労する人が玄人、その道を知ろうとする人が素人
小田島雄志
英文学者の小田島雄志氏はダジャレの名手でもあるという。
某新聞でこの言葉を見たとき、思わず「うまい!」と膝をうった。
なるほど、「玄人と素人」の見分けは、漢字の読みにあったのか。
「汝の立つところ深く掘れ、そこに必ず泉あり」と言ったのは明治の文芸評論家、高山樗牛だが、まさに深掘り深掘りの連続が玄人の仕事。
的を絞った場所から泉が湧くことを信じて、今か今かと掘りつづけるのは掘り当てる場所探しよりも、それはそれは大変にちがいない。
掘り当てたあとは、枯渇させたり濁りのないよう泉の清らかさを保つのみ。
そのための労も玄人の役目なのだ。
清らかさを保つには心が清らかでなければ。
そう、子供のように。
素人から玄人へ足を踏み入れたなら、次は玄人の心から素人の心へ向かうのが理想ではないかと思う。
良寛やピカソの晩年の作品こそ、童心のなせる技。
苦労して掘り当てた泉も、衣服をまとって泳いでいては重くて疲れるだけ。
子供のように素っ裸になれば、ほおっておいても水の力で浮くではないか。
自ら掘り当てた清らかな泉で、裸になってプカプカ浮いていられるなんて、なんて優雅なんだろう。
(160729 第220回)