上手は下手の手本。下手は上手の手本
「秘すれば花」でおなじみ、『風姿花伝』の中の一節である。
『風姿花伝』は亡き父観阿弥の教えをもとに、世阿弥が記し残した能の理論書として広く知れているが、能のような芸事に限らず、生き方の指南書としても十分活用できる。
能についての質問に、世阿弥自ら答えた「問答条々」。その中の問いのひとつにこうあった。
「技術の劣っている役者が得意な演技をしたことで、より総合力のある上手な役者に勝ってしまうことがあるのはなぜか」
世阿弥はこう答えた。
「能の達人はどんな演技でもできる。しかし、上手な人でも、自分の腕に自惚れていたら、能のレベルは下がってしまう。上手な人も下手な人にも長所と短所はそれぞれあるもの。上下の区別なく、互いに良いところも悪いところも自分の手本として、芸を磨いていくのです」
器用な人は何ごともそれなりに上手くこなせるが、不器用な人はそれができないがゆえに、一つでも上手くなりたいと必死に学ぶ。上手な人を見て「あの人のようになりたい」と。
上手下手はもちろん、老いも若きも、男も女も「人の振り見て我が振り直せ」。
良いところは取り入れ、悪いところは戒めとする。
出会いは成長への第一歩。
どんな出会いも自らの糧にしていくことで、魂は磨かれ、高まってゆく。
互いにぶつかりあい、擦れあって磨かれた御霊は光り輝き、あたり一面を明るく照らすことだろう。
(161019 第247回)