賢者を幸福にするにはほとんど何もいらないが、愚者を満足させることは何をもってしてもできない。ほとんどすべての人間がみじめなのはそのためである
フランソワ・ド・ラ・ロシュフコー
以前にも紹介した、人間性悪説から生まれたロシュフコーの至言集の一文。
どれもこれも、人間の愚かな部分に焦点をあてられているからか、隠れた腫瘍を発見されたかのようにドキリとする言葉が多い。
すべてが当てはまるとは思わないが、必ずや誰の中にも存在する陰の部分を浮き彫りにする。
ガン細胞よろしく、常に一心同体となって内に潜んでいるのは、それによってバランスを保とうとしているからなのか。
「賢者」に物質的な貧富の差はない。もちろん「愚者」にも、である。
あるとしたら、精神の強弱、高低だろうか。
論語の「足を知る者は富む」と同じことだ。
ロシュフコーはこうも言う。
「自分の内に安らぎを見出せない時は、外にそれを求めても無駄である」と。
こんなにも物や情報に溢れ、混じり合った時代はかつてなかった。
それが現代の混迷の原因なのかもしれないが、ロシュフコーの言葉はもちろん、洋の東西に限らず古典から見える人間像は、今も昔もたしいて変わらない。
人間とはいかに愚かな生き物かと思う反面、それが人間なのだろうと、妙に納得するところもある。
不変の真理がちりばめられている古典の世界は、じつにおもしろい。
(161022 第248回)