上や下、あるいは行きたい行きたくないということではないのです。どのように在るかということがすべてなのです。私たちは〝ここ〟で光るのです
『神曲』より
以前も紹介したダンテの『神曲』から抜粋した。後半「天国編」で、主人公ダンテがかつての恋人ベアトリーチェと再会し、光(天使)となった彼女から聞いた言葉である。
禅の言葉「而今」。
「いま、ここ」がそうであるように、過去でも未来でもなく、「今」「この場所」でどう在るかが大事だということ。
キリスト教の教えと禅の思想の区別はない。
古典同様、時を経て今に残るものは互いに通じあう普遍性をもつ。
ベアトリーチェはつづける。
「光とは一つの視線のようでもあるのです。だから、その照り返しでもある輝きもまた、それを受け止める者の器量次第とも言えるのです。光は、それを受け止める者の喜びによって、自ずとその輝きを増すのです」
わかっているようで、忘れがちになることは多い。
そのひとつがこの「いま、ここ」ではないだろうか。
過去にしばられたり、未来を憂えたりすることはもちろん、居場所を探し求めすぎてかえって居場所を見失ってしまうこともあるだろう。
しかし、そんなことは自ら体力を消耗しているようなもの。
体力も気力も自然と湧いてくるのは、他でもない、「いま、ここ」しかないのだ。
(161029 第250回)