人を恨み、社会を恨み、すべてが他者の所為だと思っていた人間が、己をまるごと認めてくれるものがこの世にあると分かっただけで生きていける
『納棺夫日記』より
映画「おくりびと」の原点となった著書「納棺夫日記」の一節である。
著者の青木新門氏自らの体験記でもあるがゆえか、主人公の納棺夫が出会う数々の死はリアリティをともない、まだ生きていた頃の温もりを伝えてくる。
魂が去ったあとの遺体を神聖なものに昇華させようとした納棺夫の愛情が伝わってくる言葉だ。
死を真正面から見据えた人だけが知る、生の叫びのようでもある。
生きていくことは簡単ではない。
死ぬこともまた、簡単ではない。
簡単ではないから、尊く貴重な価値あるものなのだ。
簡単に手に入るものほど、危ういものはない。
現代の情報化社会は、情報や物だけでなく、健康も友情も、ともすれば愛情まで簡単に手に入るものと錯覚させる。すぐに手に入ったはいいものの、「こんなはずじゃなかった」と情け容赦なく切り捨てる。そして次を求める。その繰り返しでは、生きづらくなるのも当然だろう。
生と死が切り離せないように、物事の良い面と悪い面も切り離すことはできない。人ならばなおさらである。
自分をまるごと認め、受け入れてくれる「無償の愛」。
愛は時間をかけて育てるものであり、決して見捨てないもの。
簡単なもので自分自身をごまかさず、じっくりとまわりを見渡してみてほしい。
その存在に気づくはずだ。
(161104 第252回)