己の携わっている仕事の本質から目をそらして、その仕事が成ったり、人から信頼される職業となるはずがない
『納棺夫日記』より
前回に引き続き、『納棺夫日記』から抜粋した。
主人公である著者が納棺夫となり、その仕事に誇りを持てるようになるまでに抱いていた感情は、ともすると、現代人の多くが秘めている感情と同じではないかと思う。
この一節に至るまでには、納棺夫の苦悩があった。
かつて、「死」を扱う仕事は忌み嫌われていた。遺体に死装束を着せる納棺夫などもってのほかである。
一方で、検察官や遺体解剖などを扱う医者は尊敬の対象とまではいかないまでも、軽蔑の対象からは外される。
それに気づいた主人公は、自らの意識を変える。
「社会通念を変えたければ、自分の心を変えればいいのだ」と。
身なりを整え、礼儀礼節を心がけ、自信をもって堂々と真摯な態度で納棺夫に徹した。
すると、周りの見方はこれまでと一変した。
周囲が向ける自分への視線は、そのまま自分自身が心の奥底で自分に向けている視線と同じである。
それまでの主人公は、心のどこかで納棺夫という仕事を軽視し、汚らわしいものと思っていたのだ。
本質を直視すれば、嫌でも弱さや醜い部分も見えてしまう。
しかし、そこを見ずして真の自信は得られない。
生きていることそのものが仕事と考えるなら、自分の人生の本質から目をそらしているかぎり、その人生が成ったり、人から信頼されることはないだろう。
(161107 第253回)