不幸を克服するよりも、幸せを上手に扱うほうがむずかしい
文豪、幸田露伴の娘であり随筆家、小説家の幸田文の言葉。著書『しあわせぼけ』の中の一節である。
幼い頃から父より厳しいしつけを受け、家事全般を叩き込まれた彼女は後に、著書『しつけ帖』にそのときの様子を心象風景を交えながら事細かに綴っている。厳しく育てられた彼女だからこそ、その後の波瀾万丈な人生をたくましくもしとやかに生き抜いていけたのだろう。
誰もが幸せになりたいと願い、そのための努力もしようとする。
しかし、よくよく世の中を見渡してみると、幸せになりたいと言いながら、本当にそう思ってるの? と首をかしげたくなるような生き方をしている人が多いように感じるのはなぜだろう。
心理学者のアドラーも言っている。
思っているのにそうならないのは、実は、そうなることを恐れているから。
そうなれる器だけれどなれない理由があるという責任転嫁、そうなった後の自分の能力が露呈することへの恐れが、望む未来を拒んでいると。
そもそも一昔前に比べれば、今の時代は幸せすぎるといってもいいくらいだ。
それもこれも、先人たちが不遇の時代を克服し、築き上げてくれたおかげではないか。
その幸せをもてあましているのが現代人だとしたら、人間というのはつくづく不完全な生き物だと思わずにはいられない。
満たされるより、物足りなさを感じるくらいがちょうどいいということだろう。
(161128 第260回)