追い詰められた場所にこそ、大きな飛躍があるのだ
羽生善治
将棋棋士、十九世名人の羽生善治氏の言葉である。
天才棋士として流星の如く現れた若き日の羽生氏に、将棋界をはじめ、多くの将棋ファンは度肝を抜かれたことだろう。
頭脳明晰な勝負師の思考回路に少しでも触れたいと、メディアはこぞって羽生氏をとりあげた。
にもかかわらず、周囲の興奮をよそに棋士の道をひたすら淡々と歩み続け、タイトル獲得合計97期、一般棋戦優勝回数44回と、共に歴代1位を獲得した羽生氏。
その不動心と胆力の根源はこの言葉に集約されるのではないかと思う。
生き物の世界は弱肉強食。
食うか食われるかだ。
植物の世界も動物の世界も、その法則は変わらない。
たとえ心は生を拒んでも、体は生きようと必死にもがく。
爪や髪は伸びるし、体に傷がつけばカサブタができる。
心臓もそれ以外の臓器もすべて、自分の意志とは関係なく動き続ける。
そのことを真正面に受け止めれば、自分は生かされているのだと気づくだろう。
ではなぜ、生かされているのか。
そのことを考えてみよう。
追い詰められて八方ふさがりだとしても、上と下には天と地がある。
思い切り沈んで大地を踏みしめ、力一杯、天に向かってジャンプする。
すべてを尽くして万事休すのときにこそ、天の意志と自分の意志がひとつになる。
(170301 第291回)