幸福は徳に反するものではなく、むしろ幸福そのものが徳である
哲学者の三木清をご存じだろうか。筆者はNHKの番組「100分で名著」で知った。著書『嫌われる勇気』でお馴染み、哲学者の岸見一郎氏が解説者となって三木哲学を紐解いてゆく。
人に優しく、思いやりの心で、助け合いの精神、といえば聞こえがいい。
しかし、ほんとうに心からそう思って実践している人はどれくらいいるだろう。
三木は言う。
「我々は我々の愛する者に対して、自分が幸福であることよりなお以上の善いことをなし得るであろうか」と。
ちょっとわかりづらいから、岸見氏の解説例をあげておこう。
「親にとって、子供の不幸ほど辛いことはありません。それが自分を介護するためであるとしたら、なおさらです。親のためにと思っていることが、かえって親を不幸にしていることもあるのです」
おわかりだろうか。
誰かに何かをしてあげたいと思う心は善良ではある。
しかし、自己犠牲が必ずしも相手のためになるとはかぎらないと言っているのだ。
これは親子間のことだけではない。
自分が幸せだと感じていなければ、人に優しくはなれない。
自分が満足していなければ、人に与えることはできない。
もしも、自己犠牲を払ってでもしてあげたいと思うのであれば、その人は心が満たされているのだろう。
我が子のために犠牲を払える親は、満たされ、幸せを感じているからできるのだ。
善く思われたい、評価を得たいと思っているうちは、「誰かのために」はむずかしい。
うわっつらの優しさは、相手にも伝わるのだから。
幸せそうな人のところに人が集まる。
それこそが徳なんだと三木は言う。
(170420 第307回)