人智のなかに隠れている不思議な鉱脈を掘り当てるには、不幸というものが必要なのだ
以前にも紹介した『モンテ・クリスト伯』より、ファリア神父の言葉を紹介しよう。
ファリア神父は主人公のエドモン・ダンテスが牢獄に幽閉されたときに出会った人物。ダンテスより数十年も前に幽閉されていた。
彼の教えによりエドモン・ダンテスは叡智を得、脱獄を果たし、その後の人生の舵取りを思うがまま操れるようになるのだが、それまでの絶望と苦悩は筆舌に尽くしがたい。
ファリア神父のこの言葉には続きがある。
「火薬を爆発させるには圧力がいる。監獄生活というやつは、ほうぼうに散らばっていたワシの才能を一つの点に集めてくれた。
才能は狭い領域でぶつかり合った。雲がぶつかると電気ができる。電気からは火花が出る。火花からは光がでる」
つまり、奥深くで眠っている才能を爆発的に開花させるには条件がいる。
散漫になっている小さな才能ひとつひとつを一点に集める必要があるというのだ。
才能開花を誘発させるものの大きな要因に、ファリア神父は「不幸」をあげる。
不幸という言葉に抵抗があるなら、「極陰」とでも言おうか。
要するに、どん底である。
行き着くところまで行き着いたら、もう上がるしかない。
それを可能にするのは、これまで培ってきた知恵や技術。
その結晶こそが、眠っている才能なのだとファリア神父は言っている。
監獄に入る必要はない。
周りの情報を遮断し、孤独と対峙してみるだけでいい。
一人静かに瞑目し、自分の心の深淵をのぞいてみれば、眠れる才能が見つかるかもしれない。
(170529 第320回)