この世には幸福もあり不幸もあり、ただ在るものは、一つの状態と他の状態との比較にすぎないということ
たびたび取り上げているアレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯』より抜粋。またかと思うだろうが、ネタが尽きているわけではないのでご安心を。
この一節は、物語の最後の最後。モンテ・クリスト伯ならぬエドモン・ダンテスがその激烈な体験を通して得た感懐。その後につづく「待て、しかし希望せよ!」という言葉を、以前本欄で取り上げた。
「陰陽不到の処、一片の好風光」
とは、臨済宗中興の祖師、白隠禅師の言。
陰や陽、苦楽や善悪という相対的な判断を超越したところに絶対的世界があるということ。
森羅万象をありのままに見ることで、わずかな光や風でさえも、ただただ何の作為もなく輝き、そよいでいることを知る。
光や風は癒やしもすれば苦しめもする。
光は光であって、風は風であるのに。
コップに水が半分入った状態を、「まだこんなにもある」と思うのか「これだけしかない」と思うのかでは全然違う、という話を聞いたことがある人も多いだろう。
捉え方で幸にも不幸にもなるということだ。
現実を見れば、この世界が平等ではないことに気づく。
生まれた場所、生きていく場所、どれひとつとして平等のものはない。
あとはその事実をどう捉えるか。
ただ在るのが、一つの状態と他の状態との比較というのであれば、その状態を自分自身だと考えればいい。
今の自分と以前の自分、というように。
相対する誰かや何かではなく、絶対の自分を今と昔で比べて、良くなっているのか悪くなっているのかを考える。
この世には、幸福もあれば不幸もある。
だからこそ、幸不幸の判断も、自分自身ですればいい。
(170825 第347回)