友がみな われよりえらく 見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ
明治の歌人、石川啄木の『一握の砂』より抜粋した。啄木については今さら説明するまでもない。あまりにも有名な歌集ゆえ、知っている人も多いだろう。
この歌を目にしたときは大きく頷いてしまった。
誰でも一度や二度、啄木のような気持ちになったことはあるのではないか。
ましてや、当時と違って今は情報過多の時代である。
知りたくなくても、勝手に情報は向こうからやってくる。
そんなとき、自分がちっぽけな人間に思えてしまうこともあるだろう。
時代を映すかのように、精神の安定を求めて禅やマインドフルネスなどへの意識が高まっている。
それはそれでいいと思う。
自分は自分という、ぶれない軸を確立することは重要だから。
けれど、何をしてもどうにもならないときは、一輪の花といっしょに家でゆっくり過ごしてみてはどうか。
店先で出会った花でもいいし、道ばたに咲く小さな花を連れて帰るのもいい。
何がなくても、花一輪あるだけでほっとする。
そう思えたら、きっともう大丈夫。
心がざわついたとき、花のある風景を思い出せたら、心の軸はできたも同然。
戻る場所ができたのだから。
小さな花にも人を癒やす大きな力があるように、小さな自分にも自分にしかない大きな力があると信じて。
小さな花と小さな自分。
どちらの中にも誰の中にも、大きな宇宙の力は、まんべんなく働いているのだ。
(170831 第349回)