平等に与えられた時間をどう使うかが、あらゆる差を生むことになる
以前にも紹介した、前横浜市長の中田宏氏の言葉をまたもうひとつ。
著書『中田主義』には中田氏のフィロソフィーがぎっしり詰まっている。
当たり前のことを当たり前として終わらせるのではなく、じっくりと考察し、自分なりに納得しながら実行に移していく彼の姿を見倣いたい。
本田宗一郎も同じことを言っている。
「時間だけは神様が平等に与えて下さった。これをいかに有効に使うかはその人の才覚であって、うまく利用した人がこの世の中の成功者なんだ」と。
使い古された言葉だと思うなかれ。
この使い古された、当たり前のことこそ、真に理解している人は少ないのではないか。
中田氏も、きっとそう思ったのだろう。この一節に添えた言葉を噛みしめてほしい。
「金がある、ない。
能力がある、ない。
そんな差を生み出す源にあるのは、時間かもしれない。
“いま”という一秒は、誰にでも等しく一秒でしかない。」
環境や状況の違いはある。
寿命だって人それぞれだ。
けれど、流れている一分一秒という時間に、甲も乙も善も悪も美も醜もない。
あるのはただ、その等しい時間の使い方、思考や行動の違いだけ。
わかっているようでわかっていないことは、まだまだ世の中にたくさんある。
当たり前だと思うことほど、じっくり考えてみよう。
「当たり前のことをするかしないかで、着実に差は開いていく」
というのも、中田氏の言である。
(170912 第353回)