感覚はあざむかない。判断があざむくのだ
ドイツの偉大なる詩人といえばこの人、ゲーテ。正式な名をヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテという。詩人であり作家、科学者や政治家といったさまざまな顔をもつゲーテの、その類い希なる才能が遺した数々の作品は、人類の財産のひとつに数えられる。時代を経てもなお、現代人の心に響いてくることがそれを証明している。
パスカルは、人間は考える葦だと言った。
考えることができるのは、人間だけに許された特権だと。
他の動物にはおよそみられない「考える」ことは、時として「考えすぎる」という過ちを犯す。
過ぎたるは及ばざるがごとし。
間違いの多くは、この「すぎる」ことが原因だと言っていい。
人間は優れた脳を得て知能を発達させた。
聴覚や嗅覚などの動物的な能力と引き替えに。
とはいえ、人間もやっぱり動物。
誰の中にも多少の動物的直感力は残っている・・・はず。
たとえば買い物のとき、あれこれ悩んだ挙げ句、結局、最初に「これ」と思ったものがよかったということを誰もが一度は経験していることだろう。
しょせん、人間、感覚の生き物。
ゲーテの言うように、感覚で間違いを犯すより、判断で間違うことのほうが多いような気がする。
しかしそれも、現代人には当てはまらないのだろうか。
動物的感覚を阻害されるような便利な世の中では、感覚もあまり頼りにならない。
だとしたら、考える力を上手に使って判断を下し、感覚を研ぎ澄ませる努力は続けたいものだ。
(171003 第360回)