一世の智勇を推倒し、万古の心胸を開拓す
南宋の儒学者、陳龍川の言葉だ。水戸藩士の藤田東湖の邸宅で、この言葉を見た西郷隆盛は感銘を受け、座右の銘にしたという。
一世の智勇などは払いのけ、万世の人々の心まで開くことが大事だということらしい。
つまり、今生での評価や刹那的な喜び、自己の損得だけを求めるのではなく、志を立て、社会的役割を全うし、後世の人たちまでをも幸せにできるようなことを成せ、ということなのだろう。
われわれは、多くの先人たちの足跡をたどって今を生きている。
後世の人たちもまた、先人となるわれわれの足跡をたどりながら生きることになるだろう。
だとしたら、今を生きるわれわれは、どう生きればいいのか。
再三、再四、本欄で取り上げる命題である。
なぜ、どうして、生まれたのか。
どこから、何をするために、生まれてきたのか。
生きることに、何の意味があるのか。
生きるとは一体、何なのか・・・。
「生」の意味を問い続けると、その先には「死」が待っている。
なぜ、どうして、死ぬのか。
死んだらどこへ行くのか。
死ぬということは、どういうことなのか・・・。
生と死を切り離すことはできない。
コインの裏と表が切り離せないのと同じように。
だとしたら、生きることを考えることは、死ぬことを考えることと同じ。
生き方に疑問を感じたときは、死に方を考えてみるといい。
どんな死に方を望むのか。
「生」がとたんに明瞭になるにちがいない。
死を意識して生きていれば、使命は向こうからやってくるものだ。
(171006 第361回)